長崎県の古墳・寺社・遺跡
彼杵の古墳(ひさご塚古墳)を見た後は、高速には乗らずに嬉野温泉へ向かいました。(どちらも15分程)そのルート沿い、彼杵川を1㎞ほど遡ったところに上杉古墳群のピンが立ちます。 4基の墳丘が残る田んぼを西側の彼杵川べりから。 フェンスの先の農道の右…
唐津見学の後は嬉野温泉に泊まって翌日福岡から帰ったのですが、宿に行く前に県境またいで大村湾沿いの古墳に寄ってみました。長崎県本土の古墳はここが初めて。 高速(長崎自動車道)の「東そのぎ」ICを出てすぐの、道の駅の隣です。 (彼杵を「そのぎ」と…
帰りの船が出るまで(借りた車を返却するまで)、もう少し時間があったので、芦辺港の北側エリアへ行ってみた。 どこを目指していたか思い出せず… 道沿いにの崖面で岩が露出したところに鳥居があった。 信仰が続いている聖域。 あとでストリートビューを辿っ…
芦辺港へ向かう途中に立ち寄ったシオユカケ古墳が、今回の古墳旅の最後の古墳となった。 壱岐島を毛細血管のように覆う小道(車道)のひとつ。 竹林を透かして盛土のようなものが見えるが、密生度が高く入れる感じはなかった。 左を見ながら坂を下っていくと…
今回、古墳の他にも古戦場を訪ねてみた。 新城古戦場は、元寇のとき(文永の役)の古戦場。 日本史では元寇をしのいだことになるが、この島は蹂躙された。 文永の役 新城古戦場長崎県指定史跡昭和50年(1975)1月7日指定鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)の時、壱…
月読神社参拝後は、国分寺跡西側の古墳集中エリアで未探訪だった古墳をいくつか廻った。 最初は道路の擁壁の上にあった山神社。 道路から小祠が見えたので、擁壁に上がって近づく。 祠の後ろに開口部が。 カメラを差し入れて撮影すると、石組みが写った。 山…
国片主神社の500mほど東には月読神社があった。 県道に面して鳥居がある。 御由緒には、全国の月読社の「元宮」との説明が。 月読(つきよみ)神社御祭神:月夜見尊(前略)壱岐の県主の先祖、忍見宿禰(おしのすくね)が西暦487年、月読神社を分霊して壱岐…
壱岐国分寺跡は、芦辺港と湯本港を結ぶ道に印通寺港(原の辻遺跡)から北上する道が突き当たるT字路に立地していた。 T字路の正面には国片主(くにかたぬし)神社。 国分寺跡のピンは、この神社の後ろ側にある。 まずは神社に参拝。 御祭神は国片主=少彦名…
前回のムギカミ神社古墳から、さらに壱岐国分寺跡に近づいて、同じくカタカナ4文字の名前に惹かれて訪ねた「カジヤバ古墳」 道路沿いの擁壁の上で、案内板や階段も整備されていた。 階段を上がって墳丘と対面。 最初はここが開口部だと思った。 上記をくぐっ…
松永記念館見学後、帰りの船の時間までにどこを回るか迷ったが、何度もその前を通り過ぎただけになっていた壱岐国分寺跡へ行くことにした。 ムギカミ神社古墳は、その道筋にあったので立ち寄った。 グーグルマップに導かれたのは丘の上の保育園。 園庭には横…
真部路古墳見学後は、壱岐の観光パンフで知った「松永記念館」へ向かったが、 途中の道筋にある大原天神の森古墳に立ち寄った。 ピンを頼りに進むと大國魂神社に。 まず参拝して振り返ったところ。 拝殿の後ろにも鳥居が。 扁額には愛宕神社とあった。ここが…
前回の鬼屋窪古墳見学後は、東に車で7分ほどの真部路(まぶろ)古墳群を訪ねた。グーグルマップには北からのルートが点線で示されるが、南側からのほうがアプローチしやすい。 南東側に畑が開けた森の縁に開口部がある。 現地説明板も備える。 市指定史跡真…
この日の2か所目の古墳は、半城湾の北側の半島にある鬼屋窪古墳。 途中、半城湾(の一つの入り江)が良く見えた。 入り江全体で、何かを養殖しているようだった。 鬼屋窪古墳は、道路に案内板が立つ。 どんな古墳が、どんなところにあるのか、想像しながら枝…
春一番の碑を訪ねた後は、岳の辻へ道すがらにあった松尾古墳(永田1号墳)へ向かった。 道路沿いで説明板もあり、見学しやすい古墳。 壱岐市の指定史跡。 市指定史跡 松尾古墳所在地:壱岐市郷ノ浦町永田触字松尾758指定年月日:昭和52年3月10日本古墳は直径…
壱岐にて3日目の朝、宿泊した郷ノ浦の街の近くに「 春一番の供養塔」があったので行ってみた。 港の突き当りの堤防に大きな文字で。 わかりやすい解説もあった。そういうことだったのですね。 「春一番」発祥の地春一番壱岐島が浮かぶ玄界灘は、航海の難所と…
岳ノ辻へ行った後、まだ日が残っていたので、「鬼の足跡」と呼ばれる景勝地も訪ねてみた。郷ノ浦の中心部から車で10分ほどの場所にある。 駐車場の先はゴルフコースのような景観が。 (実際にアイアン持って練習している人も…) 園路を進むと立派な石碑。 石…
前回の勝本城跡の後は壱岐島の最高地点・岳ノ辻へ行ってみた。 最初に着いたのは西側展望デッキ。現地の説明板。 壱岐島が平たいのは、火山活動にで噴出した溶岩が滑らかな玄武岩質だったからと知った。 岳ノ辻園地岳ノ辻は、壱岐島の最高峰(標高212.9m)で…
国史跡・勝本城跡は城山公園として整備されていた。 国史跡 勝本城跡長崎県壱岐市勝本町(城山公園内)豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築城した出城で、国の史跡に指定されています。壱岐島の最北端に位置する城山に、松浦鎮信(まつらしげのぶ…
徐々に日が傾いてきたので、島の北側からの眺めを見に勝本港へ向かったが、地図に出た「ツヅラバル古墳」のピンに惹かれて立ち寄った。 ピンの南西側のこの分岐を上って行く(歩き)が正しかったが、自分はピンの北西側の道路から斜面をおそるおそる(引き返…
立石1・2号墳を見た後は、再度古墳集中エリアへ。 グーグルマップに「古墳 号墳」と入れて、何十と現れるピンの数を見てどこを訪ねるか迷ってしまい、島内を行ったり来たりすることになった。 双六古墳の北西200mほどに「人羅古墳」という面白い名前を見つけ…
百合畑古墳群の見学後は、前日訪ねた対馬塚古墳を訪ねて一応開口部がないかを確認し、そのついでに近くで道路脇にピンが立っていた立石1号墳・2号墳をへ行ってみた。 立石1号墳とあるポイントは資材(廃材?)置き場になっていた。 回り込んでいくと… 石室石…
前回の続きの百合畑(ゆりはた)古墳園。 15号墳の南側、緩斜面下側に円墳があった。 回り込むと、見学路が開口部へ続いていた。 現地説明板。 百合畑18号墳古墳時代の終わりごろ(6世紀末~7世紀初め)に造られたと考えられます。円墳とよばれるもので、直…
百合畑(ゆりはた)古墳群は掛木古墳の南西300mほど、壱岐島の古墳集中エリアにあり、古墳公園として整備されていた。 細い道のアプローチだが、駐車場完備の古墳園。 現地の説明板。 百合畑(ゆりはた)古墳園長崎県壱岐市勝本町百合畑触生池590番地古墳に…
芦辺港で妻子を見送った後は再度古墳集中エリアに向かい、 前日は廻りきれなかった古墳をいくつか訪ねた。 はじめは、鬼の窟古墳・兵瀬古墳の北側にある釜蓋古墳群。 グーグルマップのピンに向かっていくと、道路の近くに土盛りが。 南側へ回り込むと開口部…
壱岐の古墳旅の2日目、平山古墳見学後は昼食タイムとし、レンタカーを借りるときに教えていただいた店へ向かいました。 一人で廻るときの昼食は、たいていコンビニおにぎりですが、家族同伴の場合には、きちんと時間をとって、店を選んでおく必要があります…
目の前でクローズしてしまった壱岐市立一支国博物館を後にして、南東に1.2㎞ほどにある平山古墳へ行ってみた。 林の中に佇む墳丘。 墳丘の裾まわりにも石があるが下記の解説によれば、これは墳丘保護のために近年設けられたものとのこと。 壱岐市の指定史跡。…
原の辻遺跡から一支国博物館へ向かう途中に大塚山古墳へ立ち寄った。(先に博物館へ行っていればよかったことは前回書いたとおり) 県道から博物館へ右折し、250mほど進んで右への林道に入り、さらに林道十字路を右折して登って行った先にあった。林道に駐車…
壱岐の旅の2日目は、初めに国特別史跡・原の辻(はるのつじ)遺跡へ向かった。 魏志倭人伝に記載のある「一支(いき)国」の王都と特定されている。 遺跡は復元公園化されており、駐車場のあるガイダンス施設がある。 国特別史跡 原の辻(はるのつじ)遺跡長…
対馬塚古墳探訪後は、 観光ガイドに掲載されていた猿岩を見に行った。 目的地のすぐ手前に「黒崎砲台跡」との印があったので、そちらも。 戦艦の主砲を取り付けていたらしい。今でいうイージスアショアか。 概要この要さいは、戦艦土佐の40センチ主砲を取り…
国史跡・対馬塚古墳は、前回の双六古墳から西に1㎞ほどにある。 グーグルマップにピンは立っていたが入口がわからず、付近の道路をさまよっていると視界が開けた場所があった。 肉眼でも対馬が見えていた。 長男が、あれが対馬かと強く興味を示していたが、…