目の前でクローズしてしまった壱岐市立一支国博物館を後にして、南東に1.2㎞ほどにある平山古墳へ行ってみた。
林の中に佇む墳丘。
墳丘の裾まわりにも石があるが下記の解説によれば、これは墳丘保護のために近年設けられたものとのこと。
壱岐市の指定史跡。
平山古墳
長崎県壱岐市石田町石田東触字平山
壱岐市指定史跡(昭和46年10月20日指定)
古墳とは、古墳時代(紀元3世紀後半~7世紀頃)に造営された小高い盛土を持った墳墓のことで、基本的な形態には円墳・方墳・前方後円墳などがある。壱岐島内では現在280基ほどの古墳が確認されているが、それらの多くは6世紀後半以降に築造されたものと考えられる。
平山古墳(平山1号墳)もその様な古墳のひとつであって、詳細は不明であるが付近には平山2・3号墳など数基の古墳が分布しており、この地域を治めた有力者が埋葬されたものと考えられる。この古墳の存在については古くから知られており、「壱岐国続風土記」の中に平山1号墳についての記述があり、平山2号墳は「太刀の塚」として「壱岐名勝図誌」で紹介されている。
平山1号墳の墳丘は東西11m、南北14mのややいびつな形をしているが、測量調査の結果、おそらく直径17~20m、高さ約5mの円墳であったことが想定されている。出土遺物は知られていないものの、石室の特徴からみて6世紀末~7世紀初頭頃に築造されたものと考えられる。遺体を埋葬するための石室は、羨道部から中へ入り、前室と主な埋葬空間である玄室からなる2室構造の両袖式横穴式石室である。石室の規模は全長7.8mで、玄室の平面形は奥行2.1m、幅2.2m~2.5mの正方形に近く、床面から天井までの高さは現状で2.9m、前室の規模は長さ2.4m、幅1.3m、現況での高さ1.3mで、巨石を積み上げて石室を築いている点と玄室の平面形がほぼ方形である点などが特徴である。
なお、墳丘裾部にある自然石は、墳丘保護のために近年設けたものである。
平成24年1月 壱岐市教育委員会
開口部を正面から。
羨道から前室へ。
懐中電灯で奥壁を照らす。
フラッシュで。
奥壁は半円形の巨石。
縦位置で。
奥壁に向かって左上隅を。
奥壁を背にして開口部を。
玄門の上側にはゲジゲジが…
前室、開口部に向かって右の側壁。
左側壁。
一支国博物館のサイトによれば、平山古墳は通称「鬼の岩屋」と言われているそうだ。同じ発音だが「鬼の窟」は国史跡のほう。