2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧
前回のつづき。 清洲橋から永代橋へ隅田川左岸(東側)を歩いたときの様子を。 清洲橋東詰から下流方向へ100mほど行くと道路沿いに「平賀源内電気実験の地」の碑が立っていた。 そのすぐ先に残っている上之橋の親柱。道路脇に4本残るうちの一つ。 今も残る仙…
前回のつづき。 旧稲荷橋の袂あたりから見た南高橋。 湊一丁目側からの南高橋。 四隅の柱上の建築飾りが目立っていた。 鉄骨の内側から照らす、行燈タイプ。 夜の亀島川水門。 隅田川べりの新川公園に出ると、川上側に永代橋。 目の前には石川島(佃)のタワ…
前回のつづき。 南高橋の西の袂に鉄砲洲稲荷神社が鎮座する。 門前の御由緒から。地名由来として、地形が鉄砲の形をしていたからという説と、寛永の頃に幕府が大砲の射撃訓練としていたからという説が紹介されていた。 京橋地区の生成 並に鐵砲洲稲荷神社御…
前回のつづき。 中央区新川地区は周囲を川に囲まれた「島」でかつては霊厳島と呼ばれた。 もとは江戸中島と呼ばれた隅田川の中洲だったが、家康の普請で埋め立てられて中央に掘削された新堀の北側を箱崎島、南側を霊岸島としたそう。 霊厳島の名は、寛永期に…
前回のつづき。 永代橋の上流側歩道を歩いていた際、日本橋川の河口とそこに架かる豊海橋が見えた。 新川1丁目側から見た豊海橋。 アーチのRがゆったりしている。 御影石の親柱。 石に貼られた銅板に浮き彫りの説明板があった。 豊海橋日本橋川の河口に架か…
前回のつづき。 隅田川に架かる清洲橋を東に渡り、対岸の江東区を川沿いに下流へ進むと750mほどで永代橋に至る。東岸から見る永代橋(えいたいばし) 滑り台のようなアーチ。 中央区側から振り返って。清洲橋の”下に膨らむ”吊鎖と、永代橋の”上に膨らむ”アー…
前回のつづき。 箱崎ポンプ所の前から、ほんの150mで清洲橋の袂に出る。 解説が刻まれた石碑。信長の清洲城とは無関係。 清洲橋(きよすばし)清洲の名は、深川の清澄町と日本橋中洲町を結ぶ橋であることに由来し、橋の新設にあたって公募されたものである。…
前回辿った龍閑川(跡)は「東京時層地図」のアプリで昭和戦前期まで確認できた。 左の中程から右斜め上へ向かう青い筋。 http://www.jmc.or.jp/app/ipad/tokyo/ 同じ地図を少しズームアウト。 旧龍閑川は別の水路に突き当たりって北北西に神田川、南南東に…
前回のつづき、龍閑川(りゅうかんがわ)跡を辿る細道を歩いた。 以前こちらの本で紹介されているのを見て気になっていたルート。 massneko.hatenablog.com 西の起点は旧龍閑橋の橋桁が展示されている「鎌倉児童遊園」 そこから東側。 最初に中央線の高架を…
神田駅の南西にある「竜閑橋」のT字交差点。 そのすぐ南東、外堀通り沿いに「龍閑橋」の遺構が残っている。 厳重に柵で囲まれたコンクリートの橋桁。柵より遺構のほうが頑丈に見えるが… 石に刻まれた説明があった。今から90年程前に造られた日本最初の鉄筋コ…
旧東方村中村家住宅は、江戸期の豪農の家。以前にBS朝日の「百年名家」という番組で取り上げられていて知った。 http://www.bs-asahi.co.jp/100nen/prg_121.html イオンタウンへ行く機会があったので立ち寄った。 駅から徒歩13分とあり、時間の都合で行きは…
前回のつづき。 自由学園明日館(みょうにちかん)へは2年前に訪ねたが、外観のみの見学だった。 やはり内部を見たくて、このたび再訪。 大正10年(1921)築の重要文化財で、設計はフランク・ロイド・ライト。 公式サイトによれば、帝国ホテル設計のため来日…
前回のつづき。 ”近衛町”から北に進んで目白通りを渡って右折すると、通り沿いの家の間に細道があった。 上記を右折して先へ進んで振り返ったところ。 細道の「出口」から振り返って。2度直角に折れる楽しい小道だった。 そこから北へ向かう。歩道の舗装がき…
9月の初め、高田馬場から池袋の自由学園明日館まで、閑静な住宅街を歩いてみた。 高田馬場駅を北口で降りて富士大学の学生で賑う商店街を北西に進み、右折して神田川を越え新目白通りを渡ると目の前に斜面が迫ってくる。 道端にザクロがたわわに実っていた。…
汐留の電通本社ビルの46Fに小さな展望施設(無料)がある。 そこから見えた、「築地大橋」の現状。 外に膨らみながらアーチが開く形の橋は完成しているようだが、手前側の舗装が未完。 ぐぐっと右に回る道は・・・ そのまま浜離宮の堀に沿った道を伝って都道50…
前回のつづき。 三角山から通りと水路を渡って南側の住宅地へ。細い水路は市境になっていたようでここから東久留米市。 途中から南へ下る斜面があった。 斜面の下は本村小学校。小学校の南縁には黒目川が流れる。 小学校の東縁には新小金井街道が通るが、そ…
前回のつづき。 中里の富士塚へ向かう前に、清瀬駅から南西に1.5kmほどの地点にある、下里の富士塚へ行ってみた。 駅前でバス路線を調べ、「三角山」という停留所で下車。バス停から少し戻る。 9月1日、秋季例大祭の日だったので、わかりやすかった。富士塚…
8月に訪ねた中里の富士塚は、大きな山塊とつづら折りの参道がすばらしかった。 massneko.hatenablog.com 麓の解説板に、毎年9月1日に行われる「火の花祭り」 の写真があり、それが魅力的(幻想的)だったので再訪した。 清瀬市のサイトによると、台田団地行…
前回のつづき。 龍ヶ崎市に来るのは初めてだったので、関東鉄道・竜ヶ崎駅にも立ち寄った。 明治33年(1900)に開業した、常磐線佐貫駅との4.5kmを結ぶ私鉄・旧竜崎鉄道の終着駅。 ICカードのタッチパネルはあるが、人が立つ改札ボックスが残る。 ここを入れ…
前回のつづき。 八代町の冨士浅間神社を参拝した後、東に2kmほどの場所にあると思われた桜山古墳を目指した。 龍ヶ崎市歴史民俗資料館で購入した図録に立派な墳丘の写真があったので。 こちらがその写真。 図録では現況がどうなっているかは、わからなかった…
前々回のつづき。 ニュータウンの公園にある稲荷塚古墳を見た後は台地を降り、グーグルマップで気になった冨士浅間神社を参拝した。 鎌倉初期からの古い歴史のある浅間神社だった。この仁王門も260年ほど前に建てられたもののようだ。 冨士神社(浅間様)鎮…
9月2日の午後、松戸市立博物館で講演会を聴講した。 タイトルは「松戸の古墳をとらえなおす」 、講師は学芸員の小林孝秀氏。 2時間たっぷり、パワポ80枚近くの資料による濃い内容で、弥生時代末から古墳時代にかけての、下総〜関東〜日本列島+朝鮮半島という…
前回のつづき。 愛宕山古墳跡の次は、北東に直線距離で2km強の住宅地を目指した。 ニュータウンの台地端の公園に墳丘があった。 振り返っての風景。 公園名の表示はない。 よくある公園だが、土盛りの大きさが普通ではない。 墳丘中腹に立つ木も異様に大きい…
前回のつづき。 グーグルマップ上を見ていたら、歴史民俗資料館から400mほど南東に「愛宕山古墳」の印があったので行ってみた。 台地の上に市立愛宕中学校と愛宕神社がある。参道の左は愛宕中へ上る道。 台地の縁にある参道。 石段はなかなか急だった。 境内…
前回のつづき。 龍ヶ崎歴史民俗資料館へ行った際、すぐ近くに重要文化財の多宝塔があることを知ったので訪ねてみた。 直線距離で西に400mほどの来迎寺。 境内に入ってすぐに、端正な姿の多宝塔があった。 説明板によると、室町後期の築で関東以北に現存する…
前回のつづき。 千葉県印西市の道作古墳を見学後、利根川を越えて北に車で30分ほどの龍ヶ崎市の博物館と古墳を訪ねた。 鉄道だと常磐線の佐貫駅で関東鉄道龍ヶ崎線に乗り換えて2駅目の終点の町。 まず向かったのは龍ヶ崎市歴史民俗資料館。想像していたより…
8月26日の土曜日、千葉県印西市の道作(どうさく)古墳(1号墳)で現地説明会が開かれたので行ってみた。確認調査で箱式石棺の天井石が現れている。 最寄りはJR成田線の小林駅(そこから徒歩20数分)だが、東京方面からの電車だとかなり大回りになる。 距離…
前回のつづき。この日、最後に訪ねた場所。 常見(つねみ)古墳群は足利中心街から南東に3kmほど、渡良瀬川左岸(北側)に散在していた。 目指した山川公園には2基の古墳があった。 こちらは全長9m超という足利市内で最も長い石室を持つ海老塚古墳。 説明板…
前回のつづき。 行基平(ぎょうきだいら)山頂古墳、機神山(はたがみやま)山頂古墳は、足利市役所のすぐ西側の山の上の織姫公園にある。 山頂付近の「もみじ駐車場」に車を停めて、初めに標高の高い北側へ登ると見晴らしのよいところに出た。 東方向の眺め…
前回のつづき。 ココ・ファームを後にして足利の中心市街に戻る途中、 足利市の郷土資料展示室へ行った。グーグルマップを見ていて気になっていた場所。 「郷土展示資料室」の看板に従って敷地に入ると、建築資材置き場のようなところに着いた。 上記から振…