墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「松戸の古墳時代」展 @松戸市立博物館

9月2日の午後、松戸市立博物館で講演会を聴講した。

タイトルは「松戸の古墳をとらえなおす」 、講師は学芸員の小林孝秀氏。

2時間たっぷり、パワポ80枚近くの資料による濃い内容で、弥生時代末から古墳時代にかけての、下総〜関東〜日本列島+朝鮮半島という広範囲な視点で捉えた松戸周辺の遺跡の説明を、非常に興味深く伺った。

 

講演は企画展と連動しており、企画展示室では弥生末から古墳時代の松戸市での出土品を見ることができた。

 

最初に、松戸市内の古墳時代の主な遺跡分布図。オレンジの部分が遺跡の範囲(紫は消滅遺跡)

地形的には左端に青で江戸川。その流域の広い低地から下総台地に食い込んだかつての川跡が緑色に塗られるが、そこに接した黄色の台地上に多くの遺跡があることがわかる。

古墳の名は、小金古墳群、竹ヶ花古墳、河原塚古墳群、栗山古墳群が上がっていた。ちなみに名称がかっこで括られているものは、古墳とする明瞭な根拠に乏しいものだそう。

松戸市内の弥生遺跡は前期が無く、中期から後期の集落跡のみが検出されている。

 

はじめの展示ケースにあった弥生後期の甕。

北台遺跡から出土した北関東系(東関東系)土器で、表面に「附加条縄文」と呼ばれる特殊な縄目文様がついている。


興味深いのは「環濠」や「方形周溝墓」は西日本では弥生前期に、武蔵や相模、房総半島でも弥生時代中期には広まるが、松戸を含む下総北西部では遅れて古墳時代開始前後に出現するということ(講演での言及より)

講演ではその理由は明確には示されなかったが、おそらく現在研究中のテーマなのでしょう。スカっとするような説が示されることを期待しています。

 

古墳時代前期では古墳自体は検出されないが同時代の集落跡から「外来系土器」が多く出土している。

市の南部の諏訪原遺跡(松戸市和名ヶ谷)では、弥生末から古墳期初頭の竪穴住居跡23軒が検出されたが、在地の土器のほかに近畿や東海をはじめ他地域に由来する特徴をもつ「外来系土器」が出土。

写真上の「刻み口縁台付甕」は武蔵地域系、下の「加飾壺片」は畿内系のもの。

 

こちらもすべて諏訪原遺跡出土のものだが、左上は畿内系、右上は東海西部系、右手前は近江系の特徴を持つ。

 

新松戸駅の北側にある溜ノ上遺跡(弥生末~古墳初)の方形周溝墓。

 

周溝にあった壺の底には、土器をつくる段階であらかじめ開けられた孔がある。

葬送儀礼だった壺の底を打ち欠く行為が、省略されていった形と考えられるそう。

 

東松戸の北西、河原塚古墳群にも近い富山遺跡(弥生末~古墳初期)からは、底が打ち欠かれた壺も出土している。

こちらの土器には南関東系の特徴があることから、環濠の要素と同様に東京湾を介して新たな波が到来する中でこうした墓制も需要されたという背景が考えられるそうだ。

 

古墳時代中期の展示を飾るのは東松戸の河原塚古墳群(5世紀後半頃)

手前に並ぶのは1号墳からの直刀、鉄剣、鉄鏃や鉄製の鍬先、ガラス製小玉。

上段は2号墳からの須恵器や4号墳からの坏や壺。

 

1号墳からの「鹿角装刀子」のアップ。

河原塚1号墳は径約6mの円墳で墳長部の埋葬施設からは棺を支えるために白色粘土を充填した痕跡と、50歳前後の成人と3歳ほどの幼児の人骨が出土。
縄文後期の貝塚の上に貝が混ざった土を盛って築造したので、貝殻から溶け出したアルカリ成分で骨が良好な状態で残っているそうだ。

 

河原塚古墳については当博物館の常設展示も充実している。

古墳そのものへは、3年前の早春に訪ねた。

massneko.hatenablog.com

 

同じく古墳時代中期(5世紀中葉~後半頃)の行人台(ぎょうにんだい)遺跡からは、「鍛造」ではなく「鋳造」技術で造られた鉄斧が出ており、朝鮮半島東南部から渡来人が携えてきたものと考えられるとのこと。

 

こちらも行人台遺跡からの多孔式甑(底部に複数の円孔がある調理用の蒸し器)だが、このような形は日本列島では大変珍しく、朝鮮半島東南部に起源をたどれるとのこと。

 

 

今回の展示では古墳時代後期の栗山古墳群から出土した形象埴輪が目立っていた。

 

栗山古墳群は国府台古墳群の北端に位置し円墳一基が知られるのみだったが近年の調査で広範囲に及ぶ古墳群の存在が明らかになったそう。
出土した埴輪は上野地域東部系の特徴がある一方で武蔵や下総の埴輪も出土していることから、現在の江戸川を介した広範囲な河川流通があったことがうかがえる。

 

華やかな女子人物埴輪だが、後補の部分が結構ある(なのでそっくり?)

オリジナル部分の手には5本指が表現されていて、同時期に下総で展開する「下総型埴輪(指が表現されずしゃもじのような形になる」とは埴輪の系譜が異なるそうだ。

 

見事な家形埴輪(オリジナル部分は下部)

 

 埴輪片には屋根の三角模様がよく残っている。

 

こちらは鞆形埴輪(左)と朝顔形埴輪(右)

 

男子人物埴輪と大刀形埴輪もある。
大刀の方は柄の部分のみだが、柄の装飾表現は群馬県の古墳で多く見られるものだそう。

 

馬形埴輪の胸繋の赤い連続三角文や馬齢装飾も、群馬県の埴輪と共通する表現とのこと。

 

こちらも栗山古墳出土と伝わるもの。馬や人物の頭部もあった(こちらも通常は常設展示で見られる)

 

籠手をつけた表現の人物埴輪の腕。その特徴は埼玉県生出塚埴輪窯と類似するので北武蔵との交流関係が考えられるそうだ。

 

 

こちらは小金1号墳(6世紀初頭~前半)の円筒埴輪。

3条の突帯がついた3条4段構成で下から3段目に1対の透かし孔をもつ。


かつては前方後円墳1基、円墳6基があったとされるが今は円墳(径23m)1基のみが残る(講演では前方後円墳の可能性もあるとの示唆があった)


出土した埴輪が、これまで我孫子市金塚古墳の埴輪と共通する特徴を持つとされ5世紀後半頃の築と考えられてきたが、その後の発掘や再検討で下総というよりは北武蔵の埴輪との関係性が浮上し、時期は繰り下がった。

 

小金1号墳からの円筒埴輪片には「×」「✓」などの線刻がある。

 

目的は不明だが、離れた場所の古墳から同じような線刻が見つかることがあるそう。

 

 こちらは現地へ行ったときの様子。

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こちらは竹ヶ花古墳(7世紀初頭以降)から出土した鉄鏃片。

 

松戸市役所の北東台地上にかつて存在したが、1961年の採土工事で破壊された径22~25mの円墳。
墳丘中央から白色の粘土施設が検出され、その内部から加工された石材や直刀片等が出土。
この白色粘土は本来、加工した石材を積み上げた際の裏込めとして墓坑内に充填されたもので、本来は南方向に開口する横穴式石室であった可能性がある

 

展示室には古墳時代の衣装を試着できるコーナーもあった。

 

講演会の後に講演者による展示品解説があったので大盛況となっていた。

 

企画展は9/10まで。入館無料。

団地のリアル再現もある常設展の方は、一般300円。 

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博物館は森と水が豊かな公園内にある。 

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