前回のつづき。
清洲橋から永代橋へ隅田川左岸(東側)を歩いたときの様子を。
清洲橋東詰から下流方向へ100mほど行くと道路沿いに「平賀源内電気実験の地」の碑が立っていた。
そのすぐ先に残っている上之橋の親柱。道路脇に4本残るうちの一つ。
今も残る仙台堀川は、かつてここで隅田川につながっており、昭和5年(1930)に震災復興事業によって上之橋が架けられたが、昭和59年(1984)の清澄排水機場建設に伴って撤去された。
隅田川に沿って中之橋、下之橋もあった(東京時層地図アプリより)
首都高9号深川線の高架下を左に折れて進むと「水辺の散歩道」という案内看板があった。右が北。上が西。
豊島橋の撤去工事が行われていた。
江東区のサイトによれば、昭和5年に竣工した1径間鋼製ガーター橋。
http://www.city.koto.lg.jp/470208/machizukuri/dorohashi/hashiichiran/kudokyo/14918.html
位置はここ。
老朽化した橋を撤去して埋立てて土手状の道路にするようだ。
そこから高速をくぐって南へ行くと、大島川西支川に架かる緑橋。
側面の、外に膨らむカーブが優美だった。
昭和4年に架けられた1径間鋼製トラス橋。
http://www.city.koto.lg.jp/470208/machizukuri/dorohashi/hashiichiran/kudokyo/14911.html
道幅が広いのは、並行する高速下の大通りがかつては運河(堀川)で、こちらの方がメインストリートだったからだろう。
緑橋の南西、佐賀一丁目南交差点の角に昭和初期モダン建築が残っている。
村林商店 村林ビルは昭和4年(1929)の築で、設計は関根要太郎(1889~1959)
「東京モダニズム」アプリで気になっていた建物だった。
以下は江東区の観光サイトから引用。
村林ビルは、昭和4年(1929)に建てられたオフィスビルです。大正半ばよりモダンな作風を得意として活躍した建築家・関根要太郎が設計した建築物としても知られています。玄関上のテラコッタの装飾は、ユーゲントシュティルという様式を取り入れた当時最先端のモダンデザインで、とても斬新な建物でした。現在では、ドラマや映画のロケ地としてたびたび使用されています。
http://koto-kanko.jp/theme/detail_spot.php?id=S00157
建築家・関根要太郎については、下記のサイト「関根要太郎研究室@はこだて」が非常に詳しい。
http://fkaidofudo.exblog.jp/17045546/
現在この建物は、Blankという写真スタジオ等として使われている。
南隣には最近まで木造2階の家が残っていたようだが、もうじき8階建てのマンションが建つ予定。
丸くカーブする壁面。
玄関上の装飾には19世紀末から20世紀初頭にアール・ヌーボーがドイツ語圏で展開したユーゲントシュティル様式を取り入れられている。
厚みのある装飾部分。村林商店は肥料問屋であったそうだが、すばらしい心意気。
木製扉も当時のものか。
タイルの表面仕上げも凝っている。
西側側面。
近くには別のモダン建築があった。
ゆるくカーブする道を進んで巽橋(たつみばし)は昭和4年11月に架設された1径間鋼製ガーター橋。
撤去された豊島橋もこんな雰囲気だったのか。
巽橋から南方向。周辺は船溜まりになっていた。
巽橋から北方向。800mほどで仙台堀川に突き当たる。
最寄りの門前仲町駅まで500mほど歩いて帰った。