墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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穴ヶ葉山古墳群(2号墳・3号墳) 福岡県築上郡上毛町下唐原

前回の呰見大塚古墳からは東九州自動車道に乗って20数分、福岡県の西端の穴ヶ葉山古墳群へ向かいました。

 

駐車場にあった説明板は透明パネル式。よく見ると、目線の位置があったのですね。

国指定史跡 穴ヶ葉山古墳群 1号墳・2号墳

正面の小高い丘陵上に見える3基の古墳群を穴ヶ葉山古墳群といいます。
下から尾根の上に向かって2号・1号・3号の順に立地しています。そのうち1号・3号墳は横穴式石室の内部に人物や鳥・葉などの線刻画がみられます。
巨石で造られた1号墳は、昭和14年(1939)に国の史跡に指定されています。
3号墳は前後2室からなる複室構造の古墳です。
これらの古墳は、古墳時代末頃(西暦600年前後)に築造されたものと考えられ、奈良正倉院に現存する大宝2年(702)の上毛郡塔里の戸籍に記載された、渡来系氏族とも関係のある有力者の墓と考えられます。
上毛町教育委員会

 

振り返った駐車場。

 

パネルにあるように、最初から墳丘が見えています。

 

大きな1号墳の手前で、2号墳も開口していました。

 

大きくは無いですが、しっかりした石室です。

 

しゃがんで入れました。

 

フラッシュで。


2号墳の墳頂の様子。奥が駐車場。

 

北東側から見上げる1号墳。墳丘は復元もされています。

 

丸い(プリン型ではない)上部。

 

墳頂の様子。

 

墳頂から2号墳を見下ろして。方向は東。

 

南東側の斜面。

 

南側に開口部。

 

回り込んでの開口部。しっかり施錠。

 

正面に墓道が長く設けられています。

 

ここは事前に読んでいたガイドブック「九州の古墳」(吉村靖徳著)で、「埋葬施設見学は要問合せ」となっていたので、上毛町教育委員会教務課に連絡すると石室を開けていただけるとの御返事をいただいていたのでした。

 

約束の時間まではまだ少しあったので、1号墳の左にある階段を上がってみました。

 

上がったすぐ先の斜面。


穴があります。

 

墳丘には感じられなかったものの引き寄せられて。

 

3号墳でした。

 

クモの巣を払いながら、しゃがんで中へ。

 

前室の先に玄室。ここも複室構造です。


奥壁の様子。

 

フラッシュで。

 

奥壁に向かって右側の側壁。

 

奥壁に向かって左。

実はこの3号墳の玄室側壁にも線刻画があると「九州の古墳」にも書いてあったというのにスルーしていました。

奥壁を背にして。

 

大きな天井石。


前室から開口部を。

 

3号墳の先は台地の先端でした。

 

振り返った3号墳側(右の奥の斜面)

 

葉っぱの蔭の案内板。


額田大玉さんのサイトで、3号墳の線刻画が見られます。

穴ヶ葉山2号墳

呰見大塚古墳 福岡県京都郡みやこ町呰見

今回の古墳名も難読です。

 

みやこ町歴史民俗博物館のパネルで知った古墳でした。

呰見大塚(あざみおおつか)古墳
この古墳は祓川(はらいがわ)右岸に広がる丘陵(標高約38m)上にあり、祓川下流域を支配した中小豪族の墳墓とみられます。
通常を上回る規模の墳丘や二重の周溝をもち、副葬品も装飾須恵器や金銅装太刀など豊かな副葬品をもつ古墳ですが、最大の特徴は装飾壁画です。京築地域では唯一、壁面に赤や黒の顔料で、丸や三角の幾何学文様が描かれているのが発見され、筑後川流域や肥後の古墳文化の影響がうかがえます。
形状・内部構造:円墳/複室構造
規模・墳頂:直径13m×高さ不詳
石室全長:7.0m
玄室規模:長さ2.7m・幅2.1m・高さ不詳
築造時期:6世紀後半

 

資料館では地元小学生が作ったパンフが置かれていました。素晴らしい!

 

そのパンフのマップに呰見大塚古墳も載っていたので、これは行かないと、と。

(下図の右端)


いただいた文化財マップにも記されていました(17番)

 

ただちょっと解像度が…


グーグルマップには記載が無く、高速沿いの細道をうろうろ迷って、あきらめかけたときに邂逅しました。

 

反対側に回ると説明板も。

京都平野唯一 彩色の装飾古墳
呰見大塚(あざみおおつか)古墳
呰見大塚古墳は、6世紀後半頃につくられた直径約25m(外側の周溝を含めると約30m)の円墳です。
平成21年(2009)に東九州自動車道の建設工事にともなって行われた発掘調査により、石室内部に彩色壁画が発見され、この古墳が京都平野では唯一、彩色の「装飾古墳」であることが判明しました。また、壁画の内容に、装飾古墳が盛んにつくられた筑後川流域(福岡県南部)や肥後(熊本県)の影響も見られることから、ここに葬られた人が、それらの地域を何らかの関係があったことが推測されています。
東九州自動車道建設のため、この古墳は発掘調査終了後に取り壊される予定でしたが、大変貴重な古墳であるために保存措置が講じられました。

みやこ町教育委員会

 

入口には南京錠。

 

壊されずによくぞ残していただけました。

 

金網エリア内の説明板をズームで。

呰見大塚古墳の彩色壁画
呰見大塚古墳の石室には、赤い顔料で様々な文様が描かれています。黒い顔料が使われた可能性も指摘されていますが、現在判別できる彩色は、ベンガラ(鉄分の多い土を焼いてつくった顔料)を用いた赤色です。描かれた文様は、三角文と三角形を組み合わせた対角線文(×印)、それに同心円文です。三角文は、蛇や龍の鱗を表して魔を祓う意味があるといわれ(対角線文も同じ)、同心円文は、鏡や太陽を表して、霊力を象徴する文様だったといわれます。
古墳の内部に装飾をほどこすのは、死者の魂を、石室という閉じられた暗黒の空間から、死後の世界である「黄泉の国」へ誘う意味があったと考えられます。
みやこ町教育委員会

 

平成22年4月の現地説明会の資料がネット上に残っていて、壁画の様子がよくわかります。ありがたいです。

https://kyureki.jp/wp-content/uploads/2021/03/excavation_survey_h22_azami.pdf

 

現在は埋め戻されています。

 

石列の間が墓道・石室なのでしょう。

 

背後は県道243号。上は東九州自動車道。


250mほど先(北西)で、祓川(はらいがわ)を渡ります。

 

グーグルマップに位置を入れました。

 

航空自衛隊の築城(ついき)基地が近く、戦闘機が訓練中でした。

2023年9月上旬訪問