墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

近つ飛鳥風土記の丘(一須賀古墳群)・1 大阪府南河内郡河南町東

11月下旬の三連休、真ん中の22日で奈良のウワナベ古墳の現地説明会抽選に、運良く2名で当選したので、3連休を夫婦で墳行しました。 

JR東海ダイナミックパッケージを利用。泊まりは大阪なんばの相鉄グランドフレッサ。

Go to 利用でかなりお得に行けましたが、さすがに希望時間帯の指定席をとるのは難しく、大阪着は昼過ぎになりました。 

初日に目指したのは大阪府南東の近つ飛鳥風土記の丘。

 

新大阪から御堂筋線に乗り、天王寺近鉄南大阪線に乗り換え。古市古墳群(まだ未探訪)が展開する古市駅で近鉄長野線にまた乗り換えて、一駅先の貴志駅で下車。

近つ飛鳥風土記の丘の南側入り口へ向かったが、途中で大阪芸大の新築建物を遠望。

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 先月映画で見たその建物が丘の上に見えています。 

一般公開日があれば再訪したいと思います。

 

上記の、大阪芸大の敷地がある舌状台地を山側に辿ったところが、近つ飛鳥風土記の丘になります。

南側の、住宅地側からアプローチ。タクシーを利用。

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振り返った駐車場。色づいたカラマツがきれいでした。

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園路に入って解説板を見てびっくり。園内に残る古墳は100基を超えていた。

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近つ飛鳥風土記の丘
わが国を代表する群衆墳、一須賀古墳群の中心部分、29haを史跡公園にしたのが、この「近つ飛鳥風土記の丘」です。園内には、6世紀中頃から7世紀前半に築かれた102基もの古墳があります。それらは10数基ずつぐらいが一つのグループを作って、丘陵の尾根ごとに分布しています。それを支群とよびますがそのうちB・D・E・J支群を見学できるように整備しました。
古墳のほとんどは、横穴式石室を人工の盛土で覆った直径10数m、高さ3~4mの円墳で、一部方墳も見られます。埴輪・葺石・周濠など、墳丘の装飾的な要素は認められません。花崗岩で造られた横穴式石室は、幅が狭くて天井の低い羨道と、その奥の高くて広い玄室とで構成されています。玄室には、遺骸を納めた石棺や木棺が3~4体分、置かれていたようですが、腐ってしまったり、後世に破壊されたりして、元の姿を留めているものはありません。
石室に埋葬された人々には、金メッキをほどこした耳環や勾玉・ガラス小玉などのアクセサリー、鉄刀・鉄鏃(矢じり)などの武具、轡をはじめとした馬具、須恵器・土師器の杯・高杯・甕・壺・ 器台、ミニチュアの竈・甕・甑などが添えられていました。これらの品々は、古墳の年代を教えてくれるとともに、当時の技術や文化の水準、人々の考え方や行動様式などを知る手がかりにもなるのです。なお、群衆墳は古墳の数が多いことから、豪族の下にあって成長してきた有力な家族層のものだと考えられています。
園内では最大級の石室をもったD4号墳や、6世紀末頃の形式の家形石棺を復元したB9号墳をはじめ、たくさんの横穴式石室に親しむことができます。また、2か所の展望台からは古市古墳群や王陵の谷が、天気がよければ遠く仁徳天皇陵なども見ることができます。また近つ飛鳥資料館には、一須賀古墳群の出土品をはじめ、古墳時代についての詳しい展示があります。

 

下調べをせずに来てしまいました。残り時間からすると一部しか回れません。

下記は公式サイトのマップ。

http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=fudoki

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現在地は中央下の、風土記の丘管理事務所あたり。とりあえずD支群脇の道を通って展望台を目指すことに。

 

管理事務所は秘密基地のような建物でした。

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歩き始めた園路脇に、いきなり石室が。 

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一人用ベッドぐらいのサイズ。

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こちらは蓋石でしょうか。 

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すぐ脇にもう一基。 

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展望台への登り坂。 

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左に枝道を登ると大きな石で組まれた石室跡が。

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黄葉のトンネルもありました。

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マップのD4号付近まで登った尾根上に開口していた横穴式石室。

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立派な石室ですが説明板等は特になし。

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奥壁は、パズルのような組まれ方。

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奥壁を背にして開口部を。少し先に見えているD4号墳は次のエントリで。

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その上側の天井石を。

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外へ出て、開口部の後ろ側へ行くと、別の一基が。

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玄室に降りて、奥壁をしゃがんで。

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奥壁側から。片袖式の玄室。

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そこから振り返ると、北西方向の眺めが得られた。

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複数の天皇陵が眠る磯長谷(しながだに)。二上山の西麓になります。

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クレッセントハウス 東京都港区芝公園

増上寺の三解脱門の向かいに立地するレストランクレッセントが10月31日をもって閉店した。

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Wikipedia によれば築年は1968年で、「後期ヴィクトリア朝風の建築様式を取り入れた英国風煉瓦造りの洋館」とある。

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昭和の初めの香りが漂っているのでは。

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壁に煉瓦が多用され、角に白い石がリズミカルに配される。

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創業者の石黒孝次郎氏が戦後すぐに古美術商の店「三日月」を設立、その後にフランス料理のレストランクレッセントを始めたとのこと。
この洋館は、Wikipediaによれば、当初は美術館・美術商・レストランを併設し、完成を待たずして亡くなった最愛の妻・とよ子夫人へのモニュメントとして設立されたものといわれる、そうだ。

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隅々まで統一感のあるデザインは施主の意向が強く反映されたものなのでしょう。

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いつかは訪ねたいと思っていましたが残念ながら閉店。創業63年の老舗でした。

玄関扉のガラス越しに。

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奥に素敵なシャンデリアが見えました。 

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素敵な建物なので、なんとか保存していただきたいですが…

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後ろ姿も華麗。 

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煙突や軒周りの細部にも、施主の気持ちが行き届いているよう。

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公式サイトにシェフやオーナーのコメントがありました。

新着情報 | THE CRESCENT クレッセント