墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

損ヶ熊古墳 福岡県宮若市原田字損ヶ熊

損ヶ熊古墳は、竹原古墳から東に約2.5㎞、犬鳴川を渡った向かい側の丘陵端の立地。

 

2車線道路脇のわかりやすい場所ですが、路肩が無く見通しの良くない(が交通量はある)道なので、停めるところを探す必要があります。

東側から望むと正面に開口部が見えていました。

 

ズームで。

 

丘の上へは登りやすい斜路が。

 

墳丘の西側、開口部の背後に出ました。

 

そこには、周囲で”消失”した古墳の石室石材が置かれていました。

損ヶ熊古墳群の岩
この損ヶ熊・東向原丘陵には平成5~7年度に実施した原田遺跡群緊急発掘調査の際、13基の古墳が確認されました。
この岩は損ヶ熊2号・3号墳の石室を形成していた石材の一部です。古墳は発掘調査後に解体、数個の岩がここに運ばれ、この消失した古墳が当地に存在していた証として、ここに据え置きます。

 

古墳が元々あった位置も、示していただけるとありがたいですね。

 

いい場所に、しっかりと残る損ヶ熊古墳の墳丘。開口部へ回り込みます。


一段下に見えてきました。

 

正面から。ハの字に開く墓道の側壁が印象的。

 

ちょっと読みにくくなっている説明板。

県指定史跡 損ヶ熊古墳
所在地:宮若市原田字損ヶ熊
位置:損ヶ熊古墳は、損ヶ熊・東向原丘陵先端部にあり、13基からなる古墳群の1つです。古墳は、宮若盆地の北東部の盆地入口に位置し、眼下には犬鳴川と山口川、有木川との合流点をそれぞれ望み、盆地内を見渡せます。
主な特徴
墳丘:円墳 推定墳丘直径14.4m、推定墳丘高5.4m
築造年代:6世紀末から7世紀初頭
墓道:石室主軸方向より若干東側にはずれ「ハ」の字状にやや広がり、土壙状の掘り込みや、多数の柱穴を検出しています。墳丘表採遺物として弥生式土器が出土しています。
主体部:複室の横穴式石室
前室…長さ1.15m~1.6m、幅1.30mを測ります。出土遺物は須恵器の坏蓋、坏身、高坏、脚付短頸壺、提瓶などが出土しています。
玄室…長さ2.90m~3.05m、幅1.90m~2.00mの規模を有しています。
装飾:市内で発見されている装飾古墳は、当古墳と竹原古墳です。竹原古墳が馬や人物などが描かれているのに対し、当古墳の奥壁には、赤色顔料で描かれた格子状の幾何学模様が施され、その違いが注目されます。格子は封鎖、閉鎖の意思の表現と考えられています。
宮若市

 

全体平面図

 

石室の断面図と平面図。

 

奥壁の壁画

 

こちらは、宮若トレッジでの解説板。

右下の説明(最初の段落は省略)

後室奥壁には、上下約1m、左右約1.3mの範囲に赤色顔料で描かれた装飾壁画があります。描かれているものは、格子状の直線と×印の組合せによる幾何学文様で、魔除けや封鎖の意思が表現されていると考えられています。築造は古墳時代終末の6世紀末から7世紀初頭で、ほぼ完形の須恵器が30個ほど発見されたほか、勾玉などの装飾品も副葬されていますた。市内2例目の貴重な装飾古墳として、福岡県史跡に指定されています。

 

出土品も見学できました。

 

墳丘を北側から。

こちらの石室は公開されていないとのこと。

損ヶ熊古墳「福岡県指定文化財(史跡)」 / 宮若市

2024年4月上旬訪問