墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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丸塚古墳 京都府城陽市平川車塚

芝ヶ原古墳からも見えていた丸塚古墳(中央奥の緑)

 

丸塚古墳は、芝ヶ原古墳から200m程北、久津川車塚古墳から130程東の立地。

 

住宅街の中を進みましたが所々に畑地も。

 

説明板の前に到着。周囲に柵があり、中へは入れません。

 

後円部径63m・墳丘長80mの帆立貝形前方後円墳。

東京都の野毛大塚古墳(径68m・墳長82m)に近いサイズですね。埋葬施設は未調査。

国指定史跡 丸塚古墳
丸塚古墳は、前方部が低く短い帆立貝形の前方後円墳で、周囲には周濠がめぐります。墳丘の長さは80mで、周濠を含めた全長は104mあります。後円部の直径は63mあり、高さは東側で8.3m、西側で9.6mあります。後円部は二段に築かれていると考えられており、墳丘斜面には葺石が施され、一段目平坦面には埴輪列がめぐっています。前方部の長さは17mあり、幅は前端で32m、クビレ部で26.5mあり、高さは約2mあります。前方部は一段に築かれ、墳丘斜面には葺石が施されています。周濠は墳丘と相似形で、幅が16mあります。また、周濠の上縁から1.8m外側には約6.6mの範囲で円筒埴輪が据えられています。この埴輪列により、古墳の範囲(墓域)を区画していると考えられます。埋葬施設については未調査のため明らかではありません。
墳丘からは、円筒埴輪・朝顔形埴輪や形象埴輪が出土しています。形象埴輪は据えられた状態でみつかったものはありませんが、家形埴輪・蓋形埴輪・甲冑形埴輪が出土しています。特に家形埴輪は、5棟以上の破片が出土しています。このうちの一棟は大型の入母屋造の家形埴輪で、桁行が約72㎝、梁行が約60㎝、高さが約1mあります。
出土した埴輪から、5世紀初めに築造されたと考えられています。
城陽市教育委員会

 

こちらは丸塚古墳のキャラクター。

 

木々が繁っていて墳丘面の把握は難しく。

 

説明板から左手(西)方向。

 

説明板の平面図を見ると、おそらく上記の左に短めの前方部がついていたのでしょう。

 

説明板の前の遊具。その後ろ、北東側は標高が高くなっています。地山を削って造ったような雰囲気も感じられました。


ストリートビューで、北東側から見る墳丘の樹林。

 

こちらは東側から。後円部左側面にあたると思います。

 

そして一行は、ツアーの主目的地・久津川車塚古墳(奥の緑)へ向かいました。