墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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野古墳群・中編(4・3・5号墳) 岐阜県揖斐郡大野町大字野

前回のつづきの、野(の)古墳群。

マップ(下が北)で2号墳、1号墳と見て、今回は4号墳(登越古墳)と3号墳(南屋敷西古墳)、5号墳(南出口古墳)を。

 

4号墳は普通に登れる古墳となっています。後円部を見上げて。

 

その説明板。野古墳群で最大、全長85m(周濠含むと130m)の前方後円墳です。

国史跡 野古墳群
登越古墳(野4号墳)
昭和32年7月10日指定
所在地:岐阜県揖斐郡大野町大字野字登越
三段築成の前方後円墳です。野古墳群最大の古墳で、墳丘は良好に現存しています。
周濠は、耕地整理前の墳丘周囲の水田形状から盾形周濠と推定されます。試掘確認調査では、前方部にのみ二重周濠が確認されました。主体部は未発掘です。
円筒埴輪や形象埴輪が出土しており、円筒埴輪などから5世紀中頃~5世紀後半の築造と推定されています。
周濠を含む全長130(推定) 墳丘長85m
後円部:直径54.2m 高さ7m
前方部 幅46.2m 高さ5.6m
大野町教育委員会

 

実測図部分。

 

さあ、どんな景色が待っているか。

 

濃尾平野が広がっていました。広い後円部上からで、すぐ向こうが前方部。

 

登ってきた方向を振り返ると、1号墳(左)と2号墳(右)

 

そこから右に視線をずらして、左(電柱の後ろ)に9号墳、中央に7号墳、右に3号墳。

 

さらに右を向いて、3号墳(左)と5号墳(右)

まるで艦隊の中にいるように、前方後円墳に囲まれます。(艦隊乗船経験無いですが)

 

前方部に移動して南方向を。気持ちが良いです。


振り返って後円部を。

 

西方向。奥は伊吹山地ですが、伊吹山は見えなかったか。

 

次は、左に見えている3号墳へ向かいます。

 

90mほど南東に3号墳。前方部右裾からになります。右奥が後円部。

 

野古墳群では大きな古墳には個別に名前があります。3号墳は南屋敷西古墳。

国史跡 野古墳群
南屋敷西古墳(野3号墳)
昭和32年7月10日指定
所在地:岐阜県揖斐郡大野町大字野字南屋敷西
前方部二段築成、後円部三段築成の前方後円墳です。土取りにより後円部が損傷しています。
戦前までは墳丘の北から東にかけて周濠の名残の池が残っていました。盾形周濠と推定されています。試掘確認調査では、円筒埴輪列、葺石が確認されました。主体部は未発掘です。
出土した円筒埴輪から、5世紀末~6世紀初頭の築造と推定されています。
墳丘長78.3m
後円部 直径54m 高さ6m
大野町教育委員会

 

鞍部から後円部を。

 

この後円部墳頂も広い。

 

振り返っての前方部。右奥は養老山地。

 

左奥が、次に訪ねた5号墳。

 

この前に訪ねた4号墳。緑の向こうの緑で右が後円部。

 

5号墳へのルートは周囲の田んぼの外縁を大きく迂回します。

 

おかげで墳丘の形をよく観察できました。後円部右上方向から左奥が前方部。

 

真横からのきれいな姿も。

 

5号墳は「南出口古墳」です。全長78.3m。

国史跡 野古墳群
南出口古墳群(野5号墳)
昭和32年7月10日指定
所在地:岐阜県揖斐郡大野町大字野字南出口
前方部二段築成、後円部三段築成の前方後円墳です。墳丘の平面形が細長く、くびれ部が目立って低いのが特徴です。
明治2年に主体部から鎏金獣帯鏡(五島美術館蔵、国重要文化財)や太刀などが出土しました。このとき主体部から取り除かれた石室天井石が敷地内に保存されています。
試掘確認調査により、盾形周濠が確認されました。周濠から円筒埴輪や形象埴輪、須恵器片(陶邑TK47式)が出土しており、5世紀後半~6世紀初頭の築造と考えらています。
墳丘長78.3m
後円部直径39m、高さ6.2m
前方部幅41m、高さ4.2m
大野町教育委員会

 

腰高の草で足元が見えなかったので墳丘裾からで。中央がくびれ部、右が後円部です。