前回の下船塚古墳の南(丘陵側)に仲良く並んでいるのが上船塚古墳。
60mほど坂道を上ると前方部左裾。
杉林に覆われていますが、墳丘の周囲にはロープはありません。
北側を振り返って。左奥の土手のような緑が下船塚古墳の墳丘です。
南側側面を国道27号が、かすめています。
2車線ぎりぎりの道幅(路肩ほぼ無し)で、国道上に出るのは危険でした。
正面の周溝を降りて墳丘へ。
国道側に向いた大きな標柱。
そのとなりに説明板。墳長75mの前方後円墳です。
上船塚古墳 国指定史跡
この古墳は、西に面した前方後円墳で、全長75m、前方部の幅43m、後円部の径30m、高さ10mで形態は下船塚とは異なり脇袋の西塚古墳と似ている。
一面が樹木におおわれ判明しにくいが、浅い空濠の跡とも考えられるところに葺石が散在し濠跡らしい畑地には埴輪の破片も見られた。
近くに下船塚、やや離れた小浜市平野の白鬚古墳と他の小型墳をあわせて日笠古墳群(船塚古墳群)と呼んでいる。
そのとなりの説明板が撮りそびれましたが、QRコードのリンク先が下記。
日本遺産 御食国若狭と鯖街道 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群
後円部径36mですが前方部先端幅は約50m、両者はほぼ同じ高さ。くびれ部が狭くて20m余り。平面形は脇袋古墳群の西塚古墳に似ているとのこと。
上記には、(上船塚古墳は)下船塚古墳より築成年代が下降すると推定されます、とありますが若狭町歴史文化館の展示パネルや若狭町古墳マップでは逆で、上船塚(6世紀前半)→下船塚(6世紀中頃)の築造順でした。
https://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/material/files/group/17/kofun-map.pdf
上記の日本遺産リンクには、現在は確認できないものの明治初期頃まで北側くびれ部に造り出しと思われる官地があったとも。
埴輪片や葺石も確認されていますが未発掘のため詳細はわからないそうです。
説明板前、前方部右裾から後円部方向。墳丘の北側面です。
前方部に上がって後円部方向。
交通量の多い国道27号。
後円部側に渡って振り返った前方部方向。
広角で。
後円部先端側(東)は、周濠のところまでお隣の敷地が迫っていました。
墳丘を失った丸山塚古墳跡では悲しくなしましたが、大きくて美形の前方後円墳が2基並んでいる姿を見られてとても嬉しかったです。