墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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長岡宮跡(大極殿公園) 京都府向日市鶏冠井町大極殿

向日市文化資料館の展示を見た後は、西国街道を南に戻って長岡宮跡へ。

途中で裏道に入ると味わい深いくねり具合。

 

振り返って。

 

10数分で、大極殿公園に到着。

 

住宅街の中に、一部が公園として整備されています。

 

回廊の柱跡群。

3本の柱一組として屋根を支える構造の複廊とよばれるもので、中央の柱の間に塀を設け、その両側(内外)に廊下状の施設を設けたそうです(下記の解説より)

 

遺構の真上に建つ休憩施設。当時の回廊が想像できます。

(壁の後ろでは青春の語らいが進行していました)

 

その前にあった説明板。

 

現在地は左上(北西)隅

 

国指定史跡 長岡宮跡
古代日本の首都・長岡京
長岡京は、桓武天皇の命により、延暦3年(784)11月11日に奈良・平城京から、山背(城)の国乙訓郡長岡村に遷された古代日本の都です。延暦13年(794)に京都・平安京に遷されるまでの10年間、当地一帯が日本の首都でした。都の大きさは東西4.3㎞、南北5.3㎞と広大です。地下に眠るこの遺跡を「長岡京跡」といいます。
当時の詔に「水陸の便有りて、都を長岡に建つ」とあり、地名に因んで「長岡京」と名付けられました。長岡という地域は、古代より、向日神社のある低い丘陵(通称 向日丘陵)を中心とする一帯を指します。長オカ(岡の異体字)」と墨書された飛鳥時代の土器が本市から出土したことがこれを裏付けています。
都の中心地・長岡宮
都は、宮域と京域に分かれます。宮域は、都の北部中央に位置し、天皇が政治を司る大極殿や天皇の住まいである内裏、国儀大礼を行う朝堂院、各役所など、国家の中枢部が所在したところです。長岡京の時代、「長岡宮」と呼ばれ、そのほぼ全域が向日市に含まれます。京域は、宮域を取り囲む街区(道路に囲まれたブロック状の区画)です。中央に朱雀大路を配し、大路と小路を縦横に通して碁盤の目状に区画していました。区画内には貴族の邸宅や役所に勤務する役人の住宅街、東西の市などが置かれ、立派な都市空間を形成していました。


史跡 長岡宮跡
昭和36年(1961)の発掘調査により確認された大極殿跡が、昭和39年(1964)に「長岡宮跡」として、国の史跡に指定されました。以後、長岡宮跡に関する重要な遺跡が発見されるたびに、同一名称で追加指定が行われてきました。

 

約1200年前の当地一帯には、現在の東京霞ヶ関のような国の役所が建ち並んでいました。
大極殿と朝堂院は、その最も重要な建物です。ここ向日市に造営された「長岡宮」(長岡京の中心地域)では、回廊(通路のある塀)や築地(土をつき固めた土塀)に囲まれた大極殿院と朝堂院を南北に配し、瓦葺きの立派な建物が建てられていました。

大極殿のルーツ
大極殿は天皇が政治を司る場所です。「大極殿」の名は、中国の宮殿の正殿「大極殿」に由来します。「大極」は万物の根源、天空の中心である北極星に由来します。日本の天皇は、この中国の天文思想に習って、世界を支配する中心として、地上に「大極殿」を建てました。

長岡宮の大極殿院回廊
大極殿回廊とは、宮の中枢施設である大極殿及び大極殿後殿(小安殿)から成る大極殿院を囲う、廊下状の通路を持つ防御を兼ねた遮蔽施設です。
古代の宮殿や寺院を囲う遮蔽施設には、柵や板塀、築地、回廊、築地回廊などがあります。
中でも回廊、天皇の住まいである内裏のみに用いられる築地回廊に次ぐ、格の高い遮蔽施設です。

 

長岡宮の大極殿院回廊の規模は、発掘調査にほり柱間の距離が東西3.6m(12尺)、南北2.4m(8尺)で、大極殿を中心に四方を囲う東西355尺(105.2m)、南北411尺(121m)であることがわかりました。
その構造は、3本の柱一組として屋根を支える構造の複廊とよばれるもので、中央の柱の間に塀を設け、その両側(内外)に廊下状の施設を設けていました。
本地は長岡宮の大極殿院回廊の北西隅にあたり、発掘調査で検出された遺構の真上に東西6間、南北5間の柱を表示しました。また、当時の回廊をイメージしていただくため、休憩施設も遺構の真上に建築しました。

古代宮都の大極殿院をみると、藤原宮・平城宮・後期難波宮・長岡宮では四面すべてを回廊で囲い、南面中央に門が配置される独立した空間をなしますが、平安宮では南面が壇(龍尾壇)になり南側の朝堂院と一体の空間になります。長岡宮と平安宮の間で大きく構造が変化します。
また、大極殿院回廊の機能については、古い文献にほとんど記載が無いため遮蔽施設として以外は不明ですが、時代が下がり12世紀中頃の仁安元年(1166)及び3年に行われた大嘗会に際して、内側の廊下を幕で仕切り、公卿(天皇の御前に仕える人)及び殿上人(天皇側近に仕える資格のある貴族。四、五位の一部と六位の蔵人)や受領(諸国の長官)から選ばれた五節(宮中行事)の舞姫の控えの間として使用されたことが記録されています。
平成31年(2019)3月 向日市教育委員会

 

敷地は長方形ではないので、広さを感じることはなかなか難しいですが、詳しい説明板があり、資料館の展示を見たばかりでもあったので想像力を働かせ、現地にいる感動を味わいました。

 

その後は西向日駅へ。線路の東側の公園も朝堂院跡でした。

 

人気の公園のようです。

 

振り返った阪急京都線。線路の反対側にも朝堂院公園があるようでした。

2024年4月下旬訪問