墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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筑紫野市歴史博物館・ふるさと館ちくしの 福岡県筑紫野市二日市南

五郎山古墳・古墳館を見た後は、北に5㎞ほどの筑紫野市歴史博物館へ。本降りの雨が降り続いていたので、この日は博物館巡りとしました。

二日市駅から徒歩8分、太宰府の南2.5㎞の場所にあります。

 

愛称は「ふるさと館ちくしの」、平成10年(1998)の開館。

 

入館無料の施設です。


旧石器時代から近世まで、主に筑紫野市内で出土した遺物が見られます。

 

特に充実しているのは弥生時代のコーナー。

 

隈・西小田遺跡群の23号甕棺。弥生時代中期後半のもので被葬者は30歳代の男性だそう。甕棺とともに、埋納されていた貝の腕輪や鉄剣や銅鏡なども国指定重要文化財。

 

こちらの109号甕棺も重文。被葬者は40歳代男性。

 

弥生時代の祭祀土器。左のものは、すらっとしていますが、右のは面白い形。

 

その前には、ずらりと「銅戈:どうか」が。
隈・西小田遺跡群第7地点から出土したもので、一括埋納された23本の中細形銅戈です(弥生時代中期末~後期初期)

 

こちらは、ゴホウラ貝の腕輪のコーナー。

 

「弥生式土器から土師器へ」

 

古墳時代の展示もあります。

 

「筑紫野市周辺の地域首長墓」

有力首長が前方後円墳を築き始めた頃につくられた中小の首長の墓が、筑紫野市周辺でも発見されています。前方後円(方)墳や円墳もありますが、方墳と呼ばれる台状の形をしたものが大半を占めます。古墳の形や古墳群の形成、また埋葬施設、副葬品などから、見渡せる程度の平野を統治範囲とした首長、複数の小集団を統治した首長、さらに上位の有力首長に準ずる地位を持った首長がいたことが想定されます。これらによって当時の階層社会の一端をかいまみることができます。

写真は妙法寺古墳出土三角縁神獣鏡、妙法寺古墳出土木棺、御陵古墳群全景、生掛古墳出土埴輪

 

阿志岐古墳群から出土した銅鏃・鉄鏃、など。

 

原田地区遺跡の出土品(古墳時代後期)

下段の圭頭太刀は、同遺跡9地点6号墳からの出土品。

 

須恵器のコーナー。

「前方後円墳の終焉」の解説。

5世紀にはいると、特定の人を埋葬する竪穴式石室にかわって、複数の人を順番に埋葬できる横穴式石室をもつ古墳が九州北部にあらわれます。これは朝鮮半島から伝わったものと考えられています。6世紀までには大和政権のしくみも整い、古墳の形や祭祀を共有する意義がうすれてきました。こうした理由から、筑紫野市の首長墓は、6世紀初めのものといわれる剣塚古墳を最後に前方後円墳がつくられなくなり、巡り尾Ⅰ遺跡23号古墳や五郎山古墳のような大型の円墳にかわっていきます。

 

他の時代を見る余裕は無かったのですが例えば近世では、交通の要衝であった原田宿・山家宿の資料などが見られます。

筑紫野市歴史博物館(ふるさと館ちくしの) - 筑紫野市ホームページ

2024年2月下旬訪問