墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東近江市埋蔵文化財センター(雪野山と蒲生野の古墳を巡る旅・その7) 滋賀県東近江市山路町

「雪野山と蒲生野の古墳を巡る旅」シリーズの最終訪問地は、東近江市埋蔵文化財センター(左の建物。奥は東近江市能登川図書館と能登川博物館) 

 

上記の手前左が埋蔵文化財センターの入口。 

 

玄関の前に石室遺構が!

 

 移築復元された「上日吉古墳群2号墳(建部北町)」の横穴式石室でした。

 

センター内に入ると、一階通路のケースに貴重な展示物がありました。

 

こちらは雪野山古墳出土の5枚の鏡(レプリカ)など。

 

同古墳の埋葬時の様子を表した模型。

 

この地域の弥生時代・古墳時代について、わかりやすく解説されたパネル。 

稲作が始まった時代(弥生時代)
中国大陸から日本に伝えられた稲作は、短期間に広がり、琵琶湖の周辺部でも稲作が行われました。昭和39年まで琵琶湖の内湖であった大中の湖南(だいなかのこみなみ)遺跡(国史跡)では、弥生時代中期の水田跡が見つかったことが有名です。木の板や杭で区画された水田跡や、鋤や鍬などの木製品が多数出土しました。また同時期の遺跡として、日野川流域にある市子(いちこ)遺跡(市子殿町ほか)では、方形の墳丘をつくるお墓である「方形周溝墓」群が見つかっています。
弥生時代後期には、能登川石田遺跡(林・山路町)では、集落の周囲に水路(環濠)が巡る「環濠集落」がつくられ、煮炊きにつかった土器、建築部材などの木製品が出土しました。また、各地域との交流がうかがえる北陸・東海・山陰地方の土器や、青銅器鋳造関連遺物(フイゴの羽口、鋳型)などが見つかっています。 

古墳が造られた時代(古墳時代)
古墳時代には、日本各地で前方後円墳や前方後方墳、円墳、方墳など様々な形の古墳が造られました。
神郷亀塚(じんごうかめつか)古墳(県史跡)は、前方後方墳で、3世紀初頭に造られた日本最古級の古墳とされます。4世紀初頭には雪野山の山頂に、前方後円墳である雪野山古墳(上羽田町)が作られ、三角縁神獣鏡(国重要文化財)などが竪穴式石室内から出土しました。
古墳時代中期(5世紀)には、雪野山の下の平野部に木村古墳群(県史跡)が造られます。
古墳時代後期(6世紀後半)には複数の古墳が集まった「群衆墳」が、平野部・独立山塊・河岸段丘など市内各地(勝堂古墳・平柳古墳群・八幡社古墳群・山面古墳・八之塚古墳群・上日吉古墳群・祇園古墳群)に造られました。

 

久保田山古墳からの円筒埴輪と、猪子山53号墳(山面古墳群)からの装身具類。

 

安土城跡出土の金箔瓦(実物)もありました。

 

縄文後期の能登川石田遺跡からのミニ土偶。

 

こちらは東近江市の相谷熊原遺跡出土の土偶レプリカ。高さ3cmと、小指より小さいですが、なんてセクシー。

 

上記の写真を初めて見たのは、まさに「はじめての土偶」という本ででした。

https://massneko.hatenablog.com/entry/2014/11/23/090147 

 

その後、東博での縄文展で実物も見ました。

 https://massneko.hatenablog.com/entry/2018/07/20/000000

 

ツアーでは、二階の収蔵室も見学させていただきました。 

 

明治大学での展示の際に使われていた垂れ幕も。

 

地震への備えもしっかり。

 

八幡社古墳群46号墳の石室模型。スライスタイプで上部が蓋になっています。

 

古い信楽焼きの大甕も。 

 

外へ出ると、陽が落ちていました。センターの西側道路から北方向。 

 

南方向には観音寺山(繖山) 

雪野山からも見えていた山ですが、その裏側(北側)

 

南西側、近江八幡の方向。

 

以上で「雪野山と蒲生野の古墳を巡る旅」は終了です。

ツアーは非常に充実した内容で、企画・実施に携われた皆様に、いまさらながらですが心より感謝申し上げます。

 

ちなみに調べていたら、文化財センターのブログ「東近江の文化財だより」にツアーの様子が紹介されていました。

 https://ebunkazai.shiga-saku.net/e1501720.html

 

この日は近江八幡駅前のホテルで一泊。

夕飯は駅近くの「ティファニー」というレストランで近江牛をいただきました。大変おいしゅうございました。

 

(2019年11月)