墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

近江商人屋敷・金堂まちなみ保存交流館(雪野山と蒲生野の古墳を巡る旅・その6) 滋賀県東近江市五個荘金堂町

前回の木村古墳群を見た後は、北上して東近江市埋蔵文化財センターへと向かう。

バスの車窓、近江鉄道「京セラ前」駅の近く(中央右に踏み切りが)

写真を撮ったのはこの先で石室が見えるとの説明があったからで、中央やや左、駐車している軽自動車の左上に開口部の石が写っていた。

 

途中の五個荘の、東近江市立「ぷらざ三方よし」にて休憩。

一行は、せっかく来たのでと、当初は予定になかった近くの近江商人屋敷(の一つ)へ徒歩で向かった。

 

板壁の続く街並み。

 

水路にきれいな水が流れる。

 

敷地に沿ってカーブ。

 

こんなお屋敷が付近には何軒も残っているようだった。

 

”我々”が訪ねたのは五個荘金堂町の「金堂まちなみ保存交流館」

金堂まちなみ保存交流館
この建物は、重要伝統的建造物保存地区五個荘金堂の西に位置し、元は金堂地区を代表する近江商人 外村与左衛門家から分家した外村宗兵衛の屋敷でした。宗兵衛は京都に仕入れ店を持ち、関東地方を商圏とする呉服商で、幕末・維新期には金堂でも屈指の大商人として活躍しました。
その後、屋敷は中江富十郎の所有となりました。中江家は代々呉服・小間物商を営む商人で、富十郎は、勝治郎・久次郎・準五郎と共に兄弟で力を合わせ、明治38年(1905)、朝鮮大邱で「三中井商店」を創業し、戦前の最盛期には、朝鮮・満州・中国で約20店舗もの「三中井百貨店」を有する大資本家となりました。
主屋の建築年代は不明ですが、明治6年(1873)に、当初六間取の平屋から二階建に改築されたことがわかっています。池泉回遊式の庭は作庭家として活躍した勝元宋益(鈍穴)の作風を伝える、地元の庭師山村文七郎によって昭和初期に造られました。かつては約4千㎡もの敷地があり、現存する主屋の西側には土蔵や離れ座敷、広大な庭が存在していました。
長い間空き家となっていましたが、平成20年(2008)11月から「金堂まちなみ保存交流館」として開館しあした。NPO法人金堂まちなみ保存会が中心となり、伝統的建造物保存地区の紹介や地域住民の交流の場として活用し、魅力ある金堂の町並みを守り伝えています。

 

庭への通路。 

 

広くはないが、石組みや築山のある枯山水の庭。

 

中に上がって見学できる。

 

婚礼衣装が飾られた座敷。

 

たまたま即位パレードの生中継の時間だった。鴨居の写真には皇太子時代にこちらに来られた時の写真も。

 

屋敷の二階。ミニマリスト的雰囲気?

 

地区のジオラマがあった。水と緑の美しい集落は、かなりの手間をかけて維持されてきたのだろうと感じられた。

 

公式サイトはこちら。

http://www.higashiomi.net/watch/1703.html

 

プラザ三方よし

https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/19930

タクシーが多かったのは、観光バスからここで乗り継いで山上の観音正寺(西国第32番札所)を訪ねるコースになっているからだった。

 

(2019年11月)