墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

橋詰公園 大分県杵築市大字猪尾

前回から一夜明け、早朝の杵築城。八坂川にかかる国道213号の橋のたもとから。 

f:id:massneko:20200712210503p:plain

 

橋詰公園との名前があった。川にはカブトガニが棲息しているようだ。

f:id:massneko:20200712211006p:plain

橋詰公園
橋のたもとの事を橋詰といいます。
その昔、橋詰には舟付き場があって、いろんな人や、品物が遠くへ旅立っていったり、逆に集まってきたりととてもにぎやかな場所で、位置が開かれるほどでした。
そのため、幕府から民衆への広報を伝える「高札」「触れ書き」が掲げられる「高札場」としても利用されました。
大きな橋の場合は橋の管理をまかされていた「役床」と呼ばれる「髪結床」があり、遊びの施設や屋台などが並んで、一大興行地になることもありました。

 

杵築の名の由来をここで知った。昔から伊予との交流があったのだろう。愛媛県の佐多岬半島先端と大分県の佐賀関半島先端とは13㎞しか離れていない。

f:id:massneko:20200712211037p:plain

木付(杵築)の木ってなんの木?
杵築の地名は、江戸時代正徳2年、藩主の松平重休公が領国保証の朱印状をもらったとき、「豊後国杵築」と印されていたことから来ています。それ以前は、杵築は「木付」と印しました。
この地名の由来には一つの伝説があります。
大昔、四国は伊予の国(愛媛県)に、古い榧(かや)の大木がありました。ある時、この木が倒れて海を越し、その対岸に届きました。そのこずえの先が届いたところを「木が付いた」場所と言うことで「木付」と名付けたとのことです。
これと同じような伝説が伊予にも伝わっているそうです。

 

流れのとまった河口。

f:id:massneko:20200712210555p:plain

 

崖縁に建つ杵築城。

f:id:massneko:20200712210623p:plain

 

左(西)に目を向けて、上流方向。

f:id:massneko:20200712210704p:plain


高台の端は絶壁だった。

f:id:massneko:20200712210746p:plain

 

前日に訪ねた一松邸。

f:id:massneko:20200712210820p:plain

 

 その右(北)側。谷筋にある商人街。

f:id:massneko:20200712210851p:plain

 

振り返っての東方向。 

f:id:massneko:20200712210934p:plain

この日の計画は移動距離があったので少し早起き。この時点で5時半くらい。

杵築では武家屋敷など多くの施設も訪ねたくなっていたが、次の機会とした。