墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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高知県立歴史民俗資料館 高知県南国市岡豊町

土佐国分寺からは西に1.5㎞、岡豊(おかで)城(長宗我部氏の居城)跡の中腹にある高知県立歴史民俗資料館に向かいました。

 

平成3年(1991)の開館。まさに90年代初めの雰囲気がある建物では。

2階が正面入り口になっています。

 

入ってすぐの2階にある長宗我部展示室は無料。

大階段を上がった3階の総合展示室は入館料520円(企画展などでは変動)

常設展のご案内 / 高知県立歴史民俗資料館[Tel.088-862-2211]

 

銅鐸、銅矛に迎えられます。

 

大きな銅矛は四万十町から。

 

高知空港造成時に弥生時代遺跡が出ています。

 

その先の古墳時代コーナーでは、円筒埴輪が並びます。

 

墳丘は削平されたとのこと。

伏原大塚古墳
伏原大塚古墳は、土佐湾に流れる物部川の右岸、香美市土佐山田町楠目伏原にある県内最大級の古墳ですが、現在墳丘は残っていません。埋葬施設も削平されていますが、調査の結果、長さ7m、幅2mの横穴式石室であったと考えられています。1977年の調査では、子持壺などを含む須恵器類、金銅製杏葉、鉄鏃、刀子などが出土しています。1991・92年の調査では、周溝が確認され、東西43m、南北38mの6世紀中頃に築造された方墳であることがわかりました。周溝からは約2000点に及ぶ須恵器系埴輪片、高坏などの須恵器がみつかりました。高知県内で唯一円筒埴輪が出土した古墳です。

 

グーグルマップを見ると、高知平野の北東隅にピンが立っていました。

 

高知県の古墳は高知平野に集中していますが、前期古墳は直線距離で100㎞南西になるので、探訪はまたの機会としました。

土佐の古墳分布
高知県内では、前方後円墳は発見されていません。県内の古墳は方墳と考えられるものが1基あり、円墳が主体となります。古墳時代前期後半に幡多地域に古墳が築造され、古墳時代中期前半には幡多地域での古墳築造は途絶えます。そして新たに高知平野を中心に古墳が築造されます。古墳時代後期になると横穴式石室を埋葬施設とする古墳が高知平野を中心に増加します。

 

土佐の古墳の解説です。

1、土佐の古墳 前期の古墳
前方後円墳は、日本列島に約4800基ほどが分布していますが、北の青森県、秋田県、南の沖縄県では確認されていません。高知県でも現在のところ前方後円墳は発見されていません。
高知県の前期古墳には宿毛市平田高岡山1・2号墳、同市平田曽我山古墳があり、幡多地域(高知県西部)のみに分布しています。高岡山1号墳では、長さ4.35mの木棺を礫で覆った礫槨が確認されており、勾玉、管玉、筒形銅器、青銅製小棒、鉄刀が副葬されていました。2号墳には、勾玉、管玉、小玉、石釧、内行花文鏡片が副葬されていました。曽我山古墳からは、副葬品として獣首鏡片・獣形鏡片・鉄刀・矛などが出土しています。

2,土佐の古墳 中期の古墳
高知県の中期古墳には、南国市岡豊(おごう)町定林寺(じょうりんじ)の長畝2号墳と3号墳があります。山の尾根状に造られた直径が10mほどの小さな古墳で、長畝2号墳には木棺が2基(1号・2号主体部)が埋葬されていたと考えられています。1号主体部からは、鉄剣2点・鉄鏃10点・鎌1点・鍬1点・斧1点・刀子1点が出土しています。2号主体部の副葬品は確認されていません。長畝3号墳は、長さ2.5m、幅1.48mの小竪穴石室で、鉄鏃2点と土師質土器片が出土しています。南国市岡豊町小蓮には、3基の木棺を埋葬したと考えられる狭間古墳があり、中期の古墳と考えられています。

3,土佐の古墳 後期の古墳
土佐には約210基の古墳がありますが、古墳時代前期・中期の古墳は極めて少なく、全体の97%が横穴式石室を埋葬施設とする後期、終末期古墳です。後期古墳は、物部川から仁淀川に挟まれた平野部と、これらを取り囲む山々を中心に主に分布しています。特に南国市・香美市に集中して古墳が分布しています。後期の古墳として、南国市岡豊町定林寺長畝4号墳、同市明見彦山3号墳、同市蒲原山1・2号墳(消滅)、高知市大津高天原1号墳、香美市土佐山田町伏原大塚古墳があります。大型古墳として南国市岡豊町の小蓮古墳や高知市朝倉古墳があり、土佐斉田の古墳群として南国市舟岩古墳群などがあります。

 

古墳時代の出土品は長畝古墳群、舟岩古墳群、小蓮古墳、居徳遺跡などから。

 

舟岩古墳群からの馬具や耳環。

 

小蓮古墳からの直刀や鉄製品、須恵器。

 

長畝(ながうね)古墳群からの須恵器。

 

子持高坏はシャンパンタワーのようで華やか。

長畝2・3号墳
古墳時代中期 南国市定林寺
長畝2号墳には、1号主体部と2号主体部と呼ばれる埋葬施設があります。1号主体部の墓坑の大きさは、長辺3.31m、短辺1.4m、深さ1.01mで、石室の側面と底部に割石を構築し、棺は割竹式木棺と考えられます。長畝3号墳は、小竪穴式石室を埋葬施設としています。石室内の長さは1.2m、幅0.8mと小型です。

 

長畝2号墳からの鉄剣です。

 

長畝4号墳は古墳時代後期。長畝古墳群は4世紀から6世紀の200年に渡って古墳が営まれたところでした。

長畝4号墳
6世紀中頃 南国市定林寺
長畝4号墳は、墳丘や石室が大きく削平されていますが、径10.1mの円墳であったと考えられています。玄室の長さは5.45m、幅2.88m、壁面の残存高は0.81m~1.79mです。副葬品は、須恵器や勾玉、管玉、銀製耳飾り、鉄鏃、鉄斧、馬具などが出土しています。

 

その隣には、宿毛市の曽我山古墳、高岡山1号墳の副葬品。

 

小村神社(高岡郡日高村)が所蔵する、古墳時代後期の金銅荘環頭大刀の拵(こしらえ)と大刀身は、ほとんど劣化していないようにみえました(撮影不可)

 

中世、近世、近現代、現代の民俗資料と、展示は続いていました。