墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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会津坂下町埋蔵文化財センター 福島県河沼郡会津坂下町青木杉崎

亀ヶ森古墳から南東800mほどに、会津坂下町埋蔵文化財センターがあったので寄ってみました。月曜日だったので位置の確認のようなつもりで。

かつての小学校(町立広瀬小学校)が、コミュニティセンター&埋蔵文化財センターに生まれ変わっています。

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人の動きがあったので玄関へ行ってみると「開館」のサインが!

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看板の書は大塚初重先生の筆。

 

スリッパに履き替え、2階へ。

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係の方に導かれて入った展示室は、自分の想像していた以上の充実度でした。

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なんと形象埴輪が。

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町内にあった経塚1号墳(6世紀前半)からの出土物。会津地方では「唯一」の形象埴輪だそうです。

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経塚1号墳
経塚古墳群には2基の円墳があります。1号墳は、墳丘の周りを周堀が全周します。周堀の中から、会津地方では唯一の「形象埴輪」という、人物や動物の埴輪が出土しました。
この古墳群は、6世紀前半代に造られたと考えられました。 

 

馬に乗る人物は冠を被っています。

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カメラを向けていたら、係の方がわざわざガイドポールのベルトをはずして、写真にかぶらないようにしていただけました。

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真横から。要所要所の破片が残っていた様子です。

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こちらの馬形埴輪ではかなり少なくなっていますが、鈴や鞍などがオリジナル。

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屋根に鰹木、模様のある壁に窓が開いた家形埴輪も。

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後ろ側には円筒埴輪や朝顔形埴輪、鳥形埴輪。

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人物埴輪の、壺を捧げる両腕部分も!

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展示ケースには、亀ケ森古墳の周堀から出土した円筒埴輪や朝顔形埴輪の破片も。

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鎮守森古墳から出土した二重口縁底部穿孔壺の現物もありました。

手前の模型に出土地点(前方部の横)が示されています。

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亀ヶ森古墳・鎮守森古墳の詳しい解説パネルも。

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会津坂下町大字青津字田中・舘ノ越に所在し、標高175mの河岸段丘上に立地します。
大正9年(1920)井関敬嗣氏は、青津集落西側の丘陵を古墳と考え測量調査を行いました。これが最初の古墳測量調査となります。その後、昭和32年(1957)山口弥一郎氏が測量調査を行い「新編会津風土記」の記述にちなみ大亀甲(だいきっこう)古墳(亀ケ森古墳)、小亀甲古墳(鎮守森古墳)と命名されました。昭和44年(1969)の県史跡指定時に不思議にも亀ケ森・鎮守森古墳とされ、昭和51年(1976)の国史跡指定でもこの名称が踏襲されました。
亀ケ森古墳は、主軸を東西にもつ全長129.4mの前方後円墳で、馬蹄形の周堀が巡ります。後円部は寺社、前方部は墓地で改変されています。本来の後円部は、直径75mの3段築成と考えられ、外表施設には葺石と埴輪が確認されました。くびれ部には造り出しが存在したと考えられます。築造されたのは、出土した埴輪や墳形から鎮守森古墳に続く4世紀後半と考えられました。
鎮守森古墳は、主軸を東西にもつ全長55.2mの前方後方墳で、相似形の周堀が巡ります。後方部は横方向に長い3段築成と考えられ、前方部は後世に大きく改変されてますが、本来は幅26.0㎝の三角形を呈していました。墳丘から転倒したと考えられる二十口縁底部穿孔壺が出土しています。築造されたのは、出土した土器から4世紀後半と考えられます。 

 

鍛冶山2号墳出土の直刀や、経塚古墳群や鬼渡横穴などから出土した玉類、鉄製品等。

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古墳時代については、前期、中期、後期のそれぞれの解説パネルがありました。

古墳時代前期

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古墳時代前期
古墳時代前期は、大きく町の北部地域と中部地域に遺跡が分布しています。これらの遺跡からは、北陸地方、東海地方、関東地方、中部地方、近畿地方の特徴をもった土器が出土しており、広範囲での交流があったことを物語っております。
また、この時期には、県内最大の史跡亀ケ森古墳が築造され、本地域が大きく繁栄したことを示しています。
北部地域は、広瀬・川西地区を中心とする地域で、古墳は平地側に史跡亀ケ森古墳(前方後円墳)・鎮守森古墳(前方後方墳)・男壇遺跡(前方後方形方形周溝墓・方形周溝墓)、宮東遺跡(前方候円形周溝墓・方形周溝墓・円形周溝墓)、山地側に出崎山古墳群(前方後方墳・方墳・円墳・前方後円墳)、森北古墳群(前方後方墳・方墳・円墳)、雷神山古墳(前方後円墳・円墳)、次郎坂古墳群(円墳)が、集落は宮ノ北遺跡(玉造遺跡)、中西遺跡、雨沼遺跡、丈助橋遺跡が存在します。
中部地域は、坂下・八幡地区を中心とする地域で、古墳は平地側に杵ガ森古墳(前方後円墳)、稲荷塚遺跡(前方後方形周溝墓・方形周溝墓)、臼ガ森古墳(前方後円墳)、森前遺跡(円形周溝墓)、山地側に境ノ沢子古墳群(前方後方形周溝墓・方形周溝墓)、観音森古墳(円墳)、集落は稲荷塚遺跡、森前遺跡、東舘遺跡(豪族居館)が存在します。
北部地域は旧越後街道の青津~宇内ルート、中部地域は越後街道の坂下~塔寺ルートと符合しており、古墳時代から越後と会津を結ぶ街道筋に集落や豪族の古墳が造られていったことを示しています。

 

古墳時代中期

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古墳時代中期
古墳時代中期は、前期と比べて遺跡数が少なくなります。中期前半の遺跡は現在のところ稲荷塚遺跡のみで、後半になると長井前ノ山古墳及び、中平(なかだいら)遺跡のように後期に続く遺構が出現します。この理由には、気候の寒冷化やヤマト王権の政策転換などが考えられていますが、現在のところ結論は出されていません。
中平遺跡は、津尻集落西側に存在し、阿賀川が大きく蛇行する標高178mの河岸段丘上に立地します、調査の結果、大洪水により大量の砂で集落が埋没した遺跡と判明しました。ここで注目されるのは、最初に構築された大型竪穴建物跡です。ここのカマドは煙道が大変短く、在地の構造とは全く異なっていました。また、ここからは複数の須恵器や黒色処理された土師器が出土しました。この時期の福島県中通りや浜通りの地域ではほとんど発見されていません。また、当時の先端技術である鍛冶工房跡も発見されています。
長井前ノ山古墳は、長井集落西側の標高254mの丘陵上に立地します。全長36mの前方後円墳で、埋葬施設から合掌形石棺が検出されました。残念ながら副葬品はほとんど出土しませんでしたが、長野県に多い合掌形石棺から中期と想定されました。
黒色処理の技術を用いた土師器や、合掌形石棺などから信州との強い関連が考えられました。

 

古墳時代後期

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古墳時代後期
古墳時代後期は、中期に減少した遺跡数が再び増加に転じます。
坂下地区は上窪道北遺跡、若宮地区は寿の宮遺跡、能登A遺跡、竹原遺跡、山ノ神遺跡、樋渡台畑遺跡、舘ノ内遺跡、松無塚遺跡、鬼渡古墳群、金上地区は開津台畑遺跡、広瀬地区は宮ノ北遺跡、川西地区は鍛冶山古墳群、次郎坂古墳群、出崎山古墳群、中平遺跡、山子遺跡、八幡地区は経塚古墳群、高寺地区が舟渡古墳群と、町内全域に遺跡が分布するようになります。
樋渡台畑遺跡は、堀で区画された豪族居館で、ここからは古墳に副葬される銅製釧、鉄鏃、鎌、斧、鋤、鍬、刀子、鈎などの鉄製品、管玉などの玉類や須恵器等の遺物が建物跡内から出土しました。
鬼渡古墳群は町内唯一の横穴墓で、第1号、2号横穴から直刀、玉類が出土しました。
鍛冶山古墳群の2号墳からは、横穴石室内が検出され女性人骨とともに全長106.7㎝の直刀が出土しています。
次郎坂古墳群からは、円墳の近くにモガリを行ったと考えられる竪穴が検出されました。
経塚古墳群の第1号墳からは、会津地方唯一の形象埴輪が多数出土しました。特に人物が馬に乗った埴輪は全国的にも大変珍しいものです。

 

もちろん古墳時代以外の展示もあります。

縄文土器のコーナー。 

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弥生土器のコーナー。

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古墳時代の土器(土師器・須恵器)のコーナー。

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その後の時代の出土物も。

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後で知りましたが、ここは2019年5月11日のオープンで、所蔵品は830点。

会津坂下町埋蔵文化財センターOpen! | 会津中央・会津美里復興支援員ブログ

 

会津坂下「町」だけで、これだけの遺跡・遺物があるとは! 

会津坂下町埋蔵文化財センター - 会津坂下町

入場無料・土日祝が休館ですが、時期により開館とのこと。