築山古墳を見た後は、大分平野を横断して西端の台地上の古墳を目指したが、途中に県立埋蔵文化財センターがあったので立ち寄った。
広い駐車場に車を停めて建物正面へ回ると、非常に立派な建物が。
Wikipediaによれば、建物は旧大分県立芸術会館で、2017年4月に大分県立埋蔵文化財センターとしてリニューアル開館されたとのこと。
館内で一般見学が可能なエリアは「豊の国考古館」「BVNGO(ぶんご)大友資料館」「歴史体験学習館」などに分かれている。入館無料。
時間の関係で考古館だけとしたが、予想外のボリュームに圧倒された。
旧石器から始まって、縄文、弥生時代。
日田市の草場第二遺跡から出土した高さ90㎝の甕棺。弥生時代のものだが、大分県で成人用甕棺が出るのは日田地域に限られるそうだ。
弥生時代後期に築かれた代表的な墳丘墓が実測図付きで示したわかりやすいパネル。千葉県木更津市の高部30号墓(消滅)も載っている。
邪馬台国の九州説・畿内説に触れることはなく、そのころには列島各地に「大きなまとまり」が形成されつつあってそのひとつに邪馬台国があった、という記述になっていた。
古墳時代が最も充実(個人の感想です)
「 前方後円墳の出現と展開」
右上の4基は、下原古墳、赤塚古墳、免ヶ平古墳、亀塚古墳。
前方後円墳の出現と展開
前方後円墳は大和で成立し、その後北は岩手県から南は鹿児島県まで全国に広がります。大分県では約50基の前方後円墳が確認されています。県内最古の前方後円墳は沿岸部にある赤塚古墳や下原古墳で、3世紀後半代の築造です。その後各地に広がり、特に宇佐地域や海部地域、三重盆地で多く造られました。中でも宇佐市の川部・高森古墳群では赤塚古墳をはじめとして、6世紀前半の鶴見古墳まで6基の前方後円墳が近接して造営されます。前方後円墳は首長の墓と考えられています。
「古墳築造のひろがり」
古墳築造のひろがり
古墳時代中期には古墳の造営が拡大し、旧郡単位ほどのエリアで首長墳が見られるようになります。大分市では結晶片岩製の箱式石棺、臼杵市では凝灰岩製の舟形・家形石棺が用いられているなど、遺骸を納めた石棺に地域的な特徴も現れてきます。
古墳時代後期は、横穴式石室の採用という埋葬施設の大きな変化がありました。群集墳などがみられるようになるのもこの時期です。しかし、大分県内では横穴式石室を持つ古墳は少なく、上ノ原横穴墓群などのような崖面に穴を穿つ横穴墓が多く見られるのも特徴です。
上記のパネル前には各地で出土した土器が。
現代アートのような須恵器の埴輪も。(出土地を撮りそびれました)
壺や鳥が周りに付けられています。
舟に乗る人も!
この解説で、横穴墓がここ豊前地方で始まったことを知った。
横穴墓の世界
横穴墓は古墳時代中期に豊前地方で始まり、後期には東日本にまで伝播した墓制で、丘陵の斜面や垂直の崖面に横方向に穴を掘って墓としたものです。死者を安置する玄室に通じる長い墓道を持ったものもあり、一つの横穴墓が家族の墓として何度も利用されました。大分県を代表する上ノ原横穴墓群は、福岡県竹並横穴墓群とともに最古段階の横穴墓として知られており、7世紀代にかけて継続して営まれました。大分県は良好な凝灰岩崖面に恵まれたこともあって、豊前地域だけでなく別府湾沿岸部や大野川流域、日田・玖珠地域などで特に多く造られました。
飛山横穴墓の豪華な副葬品。
集落の展開の解説も。
古墳時代の集落の展開
古墳時代は各地の首長が大規模な開発を進めた時代です。その背景には大陸の進んだ農業土木技術と、U字鍬先、曲刃鎌等の優れた鉄製農具の伝来があったと考えられます。大分県では大規模な開発事例は今のところ確認されていませんが、平野部に立地する集落が増えたことを考えると、平野部の水田開発が進んでいたことがわかります。5世紀代になって、大きな火力が得られるカマドが竪穴建物の壁際に設けられることは、調理をする上で大きな変化でした。
古墳時代の人々が生活で使ったであろう土器。
「須恵器の生産」
須恵器の生産
須恵器は、5世紀前半に大阪府南部の陶邑(すえむら)で生産が始まった青灰色で硬い土器です。その背景には、粘土から形を成形するロクロ技術や1200度を超す高温で焼成する登窯を造る技術が朝鮮半島から伝わったことがあります。そして陶邑では、5世紀中頃に朝鮮陶質土器の模倣から日本独自の形になり、それらは日本各地へ運ばれて葬送の際などに使われました。っ九州でも早い時期に須恵器が生産されますが一旦途切れ、6世紀代になって再開されます。牛頸窯跡群・八女窯跡群、周防灘沿岸部の天観寺山窯跡群(福岡県)、その南に位置する中津市の伊藤田窯跡群などが生産の拠点となっていきます。
出土した須恵器。
6世紀後半の瓦ヶ迫窯跡(中津市)出土の須恵器には、蓋の内側に簡単な記号が刻まれていて、作った工人が特定できるのだそう。
東田室遺跡出土の絵画土器。躍動感のある文様。
地元出土の土器が縄文から江戸期までずらりと並べられていて圧巻でした。
同様の展示を兵庫県立考古博物館でも見ましたが、土器は人が一番長く、一番身近に使ってきた道具なので、長大な時間の経過をリアルに感じとれるとも思いました。