墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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千代丸古墳 大分県大分市大字宮苑

 県立埋蔵文化財センター見学後は、大分平野西端の日豊本線と久大本線に挟まれた、つまり別府湾と賀来川の間の古墳集中エリアへ向かった。

 

最初に向かったのは、そのエリアの一番西にある千代丸古墳。わかりやすい看板があったので、台地の下側に車を停めて道を上った。

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そこにはもしゃもしゃした遺構が。

千代丸古墳は昭和9年に国の史跡に指定されている。

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陶板の説明板は時を経ても読みやすい。

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千代丸古墳
大分県宮苑
国指定史跡(昭和9年5月1日)
賀来川の左岸丘陵部に位置するこの古墳は古墳時代後期、およそ7世紀の初め頃に造られた円墳です。墳丘は盛土が流出して本来の規模はわかりませんが、大規模な横穴式石室を持った古墳です。石室は南を向いて羨道が開き、奥の玄室に続きます。大規模な凝灰岩を組み合わせて造られた石室は、当時の土木工学的な技術の高さをよく示しています。
遺体を安置するための玄室は奥行3.32m、幅1.87m、高さ2.8mの規模で、腰部と天井部に巨岩を組み、自然石を巧みに築き上げています。玄室奥には2段の平石を重ねた屍床(遺体の安置場所)を設けており、この屍床の上部には厚さ46㎝の棚石が奥壁から水平に造り出されています。
このような棚石を持つ古墳は珍しく、しかも棚石の前面には三角形・四角形の幾何学文様(家屋か)、人物・動物と思われる文様が線刻して描かれていることも特異です。こうした線刻画のある装飾古墳は、県下では2例(玖珠町・鬼ヶ城古墳、国見町・鬼塚古墳)しかありません。
千代丸古墳に葬られた人物は、大分川の支流賀来川流域を含む大分平野を治めた首長であったと推測されます。
大分市教育委員会

 

看板のすぐ先に、大きな開口部があった。

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”門柱”は、露出した側壁。

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玄門まではよく見える。

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玄室をズームで。 

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棚石が写ったがピントが合わず、手前の面の線刻画は認識できなかった。 

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フラッシュを使うと、次の1枚までに時間がかかる。ぶれないように手を動かさずにいると藪蚊がすぐとまる。これでも何枚か撮ったうちで一番良かったものです…

 

検索していたら、こちらのサイトに石室内や線刻画の様子がわかりやすく紹介されていた。

https://s-kofun.kyuhaku.jp/d_frame_dk_search.php/44/14/-/1/0/7

九州国立博物館が作成した「装飾古墳データベース」で、九州だけでなく全国の、そして世界の装飾古墳が掲載されている。

時間のあるときに、じっくり見られるのがよいと思います。

 

千代丸古墳の墳丘を見上げて。

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すぐ後ろは水田だった。

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空が映る水田。

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別の道から回り込んで、墳丘を背面(北側)から。

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