丑殿(うしどの)古墳は前回の蓬莱山古墳から直線距離で400mしか離れていないが、 ぐるりと大回りする必要があり、車で6分、歩くと30分の道のりだった。
久大本線に並行する道路に入口サインがあった。
なかなか目立つ色彩。
県指定史跡 丑殿古墳
祠となり、守り継がれた古墳
五穀豊穣をもたらしたと伝えられる丑殿の神を祀るため、石室とは知らずに石像が置かれたことから、いつしか神を祀る場所として、「丑殿祠」と呼ばれるようになりました(『雉城雑誌』より)
江戸時代には、古墳であることが解明され、学術的にも古くから注目された大切な文化財です。
大分市教育委員会
車は入れない枝道を上った先の公民館(?)に「うしどの古ふん」のサイン。
階段下に説明板があった。
丑殿古墳
大分市大字賀来1755
県指定史跡(昭和30年5月27日)
丑殿古墳は、庄ノ原台地の裾部に位置し、巨石を組み合わせた横穴式石室と大きな家形石棺とに特色を持った6世紀中頃の円墳です。石室は長さ4m、幅1.7m、高さ1.5mの羨道と、奥行・幅ともに2.5m、高さ2.1mの玄室から成っています。玄室には家形の棺蓋を持つ長さ2.3m、幅1mの石棺が安置されています。棺蓋には縄を掛けて持ち上げるための突起が、側面に4個造り出されています。また、石棺は大きな石をくりぬいて造ったものです。
この古墳の真上に台地には蓬莱山古墳(県指定・前方後円墳)や田崎古墳群があり、また西約2㎞の台地裾には千代丸古墳(国史跡・横穴式円墳)、東約2㎞の台地にも弘法穴古墳(横穴式円墳)が営まれています。いずれも、大分川流域を地盤に勢力を振るった、古代豪族の足跡を示す貴重な文化財です。
大分市教育委員会
建物の裏側へ回り込むと開口部が。
しっかり施錠されていた。
手前の石も羨道部側壁か。
逆サイド。
天井にかかる石には亀裂が入っていた。
柵にカメラを入れて。玄室の石棺が確認できた。
フラッシュで。石棺の割れた蓋が写った。
もう少しズームして。奥壁の石も立派。
額田大玉さんは石室内に入られている(画像あり)
http://kofuntokaare.main.jp/4goufun/page232.html
最初の階段上からの眺め。道路の向こうに久大本線が写っているが、右方向にある賀来駅へは徒歩9分で行ける。