蛭子山古墳の2.3㎞北西、加悦谷が二股に分かれるあたりに小森山1号墳のピンが立っていました。
野田川フォレストパーク内、野田川ユースセンターの少し手前の道路沿いに開口部が。
開口部の天井高さ(とその少し上)あたりに石の列。
説明板もありました。3つの石列は墳丘の土留めと装飾のためと考えられるそうです。
小森山1号墳
この古墳は、平成2年5月から7月にかけて当教育委員会が発掘調査をしました。
墳丘は、東西で約9m、南北で約10mの規模を持っています。
この古墳の特徴として、墳丘に沿って並んでいる3列の列石があります。この列石は、墳丘の土が崩れないように置かれたものですが、墳丘の装飾を兼ねたものと考えられます。
埋葬施設は、石を積み上げて死者を葬る部屋(玄室)とそこに入るための通路(羨道)でできている横穴式石室(無袖式)と呼ばれるものです。石室の全長は約7.3mで、奥壁の幅は約1.3m、高さが約1.5mあります。
出土遺物には、石室内で須恵器の杯身と鉄刀、石室外で須恵器の杯身・横瓶などがあり、この古墳は6世紀末に造られ7世紀初め頃に再び埋葬(追葬)が行われたものと考えられます。
羨道部入口には何かを焼いた跡があり、土師器の小皿・黒色土器が出土していることから、12世紀末(平安時代末)から13世紀頃(鎌倉時代前半)にかけて何らかの儀式があったものと推測されます。
平成4年3月 野田川町教育委員会
開口部正面、南西側から。
施錠されているので、柵の間から。
ズームで。