墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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願成寺西墳之越古墳群(前編:2号墳・1号墳) 岐阜県揖斐郡池田町

願成寺西墳之越(がんじょうじにしつかのこし)古墳群は、昼飯大塚古墳群の北北西約7.5㎞、揖斐川右岸の丘陵端に立地。野古墳群へ向かう道すがらに寄りました。

 

周囲は大津谷キャンプ場・BBQガーデンとなっていて、結構お客さんが来てました。

 

駐車場から杭瀬川を渡って左岸に展開する古墳群へ。右端の坂を上がります。

茶畑の先に広がる濃尾平野!

 

ここでは「墳」は「つか」と読みます。県下最大級の111基。

 

さっそくぽこぽこと墳丘が出現します。

 

古墳に囲まれる素敵な小径。緑に囲まれて。

 

全てを廻ろうとすると1日がかりとなることは明白、ということを額田大玉さんのサイトで学習していました。

 

石室が見学できるの”4基だけ”とのことで、そこだけを。

岐阜県史跡 
願成寺西墳之越(がんじょうじにしつかのこし)古墳群
昭和44年1月22日指定
この古墳群は、池田山東麓の扇状地上(標高約120m)に立地する、県下最大級の群集墳です。現在までに111基もの古墳が確認されています。
形のわかるものは全て円墳で、直径18~20mから直径6~7mと様々な大きさのものがあります。
ほとんどの古墳は墳丘横に口が開く石の部屋(横穴式石室)を築いていて、中からは須恵器・土師器などの土器、鉄刀、鉄鏃などの武器、勾玉、耳環などの装身具などが副葬品として主に出土します。また、横の出入口から追加の埋葬(追葬)が何回も行われました。
古墳群の中で最も古い築造は5世紀後半(36号墳)ですが、大多数は古墳時代後期の6世紀末から7世紀後半頃にかけて築かれたと考えられます。追葬は8世紀初頭まで行われていました。
古墳「群」の姿は、古墳に葬られた人々や、その属していたグループが、当時どのような地域社会を形づくっていたかを示すものです。
願成寺西墳之越古墳群は、保存状態もよいので、詳しく調べることで古代地域社会を解明するてがかりともなる貴重な遺跡といえるでしょう。
池田町教育委員会

 

マップ部分の拡大。

 

近くにあった72号墳の標柱。

 

その西隣にある2号墳。天井石はありません。

 

奥壁は手振れ。明るさで油断。

 

奥壁を背にして。シダ類が繁り始めています。

 

羨道の先に、小型多宝塔(?)が”群集”。

 

2号墳の南隣に1号墳。

 

大きな開口部に期待が高まります。

 

荘厳な石室でした。

 

フラッシュで。

 

奥壁を背にして。

 

玄室を羨道の境に敷かれた石。