前回の五条古墳からは、直線距離では南に450mほどの山畑古墳群へ。
行けそうにも見えますがグーグルマップの指示は、一旦西に坂を下り再び登り返すというルートでした。
その割には、こんな裏道を通りなさいと…
抜けた先は、うねうねと登り坂。
上がった先で振り返るとまた素晴らしい眺め。
再び、ここ行くの的な道を抜けると、山畑古墳群の説明板がありました。
山畑38~41号墳
東大阪市立郷土博物館の敷地内には、市の文化財に指定されている山畑22号墳とともに昭和46年に発見された山畑38~41号墳の5基の古墳が残っています。
このうち38~41号墳の4基は、直径8~11mを測る円墳で山畑古墳群のなかで小規模な円墳です。古墳の内部にある横穴式石室は、馬頭大の自然石を積み上げて構築しており、木棺に納めた被葬者を安置する玄室と石室の出入口をつなぐ羨道部が同じ幅でつくられた無袖式の平面形を呈しています。
昭和46年の発掘調査では、39・40号墳から金属製の耳飾りや鉄釘がみつかっています。
このような横穴式石室の形や大きさ、出土遺物などから山原38~41号墳はいずれも7世紀初め頃に山畑古墳群のなかで最後につくられた古墳と推定できます。
平成15年3月 東大阪市
隣接する東大阪市立郷土博物館に掲示されていた墳丘の位置。
まずは39号墳の石室状況。
玄室の位置にて。
すぐ先に石室が見えていますが、周囲は立入禁止になっていました。
中央の幹のサインに「38号墳」と記されています。
この木が倒れてしまったことによるみたいです。倒木の枝には、まだ緑の葉が繁っていました。
39号墳の北に並んで40号墳。
40号墳を奥壁背後側から
西側からスマホ広角で。中央が40号墳、右の木の陰に39号墳。
立っている位置あたりに41号墳があったのかも知れませんが気づきませんでした。