墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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前山A32号墳・A17号墳・A13号墳・A9号墳・A23号墳・A24号墳 岩橋千塚古墳群・前山A地区

前回のつづきの前山A地区、岩橋千塚古墳群編の最終回。

直前のA46号墳の後から巡った順に。

 

こちらは北西方向に開口していたA32号墳。

 

その説明板。

前山A32号墳
直径約15m、高さ約5mの円墳で、全長約4.4mの横穴式石室があります。玄室から直刀1点、鉄鏃片3点、羨道から鉄片が見つかっています。
このあたりは標高が約82mで、前山A地区のおよそ中央に位置します。北には標高77mの花山丘陵と紀ノ川、和泉山脈を望むことができます。
平成21年 和歌山県教育委員会

 

こちらの開口部も結構狭い。

 

床石はオリジナルか。

 

フラッシュで奥壁。玄門が白くとんだ。

 

天井部を。

 

奥壁側から天井部。

 

その下の開口部。

 

 

 

墳丘の前からの気持ちの良い眺め。標高88m。

左から中央に伸びるのは花山丘陵。奥は和泉山脈。

 

そこから東側に向かう短い尾根にも古墳が密集していた。

 

賑やかな表示板。

 

こちらには方墳があった。

 

その説明板。

前山A17号墳
明治40年(1907)に東京大学人類学教室の大野雲外が発掘調査を行った、岩橋千塚の調査研究史上重要な古墳です。一辺約14mの方墳の中央に副室のある箱式石棺が配置されていました。主室からは2本の直刀、副室からは衝角(しょうかく)付き冑が発見されています。古墳時代中期(5世紀)に築造された古墳と考えられ、岩橋千塚では古い段階の古墳にあたります。
石棺内に水がたまり保存上問題があるため、平成19年度(2007)の発掘調査の後埋め戻されています。

 

上記には「埋め戻された」とあるが、墳頂には箱式石棺が露出していた。

 

再び入室可能な古墳が。 

 

その説明板。

前山A13号墳
6世紀後半につくられた直径約18mの円墳で、長さ約5.8mの横穴式石室があります。
石組の通路(羨道)を通り、埋葬用の部屋(玄室)に入ると、頭上に「石梁」を2本、奥に「石棚」を1枚みることができます。石梁と石棚の両方を使用した横穴式石室は、岩橋千塚周辺でしかみることができません。
大正7年(1918)と平成18・20年度(2006・2008)に発掘調査が行われており、玉や馬具、鉄槍、須恵器片が出土したほか、入り口の通路の下で排水用の暗渠が確認されています。
平成21年 和歌山市教育委員会

 

羨道へ。

 

なんと玄室には水が溜まっていた。

 

後ほど出会った説明板に当墳の実測図があった。上記手前の赤い石が玄室前道になる。

 

玄室前道から覗いた”プール”

排水溝が目詰まりしてしまったのだろう。

 

内部に灯りがあって、石棚や石梁はしっかり見学できた。

 

尾根の端にあったA9号墳。

 

といっても墳丘は無かった。竪穴式石室は埋め戻されたか。

 

その説明板。

前山A9号墳
平成19年度(2007)の発掘調査により、地山を削り出した後に盛土を施した、低い墳丘を特徴とする古墳であることがわかりました。直径約5mの小規模は円墳で、竪穴式石室を埋葬施設としています。
石室派、長さ1.5m、幅0.5mで、小口側に板石を立てるほかは、結晶片岩を横に積み上げて造られています。
なお、大正7年(1918)の発掘調査では石室の南東隅より鉄鏃が2点出土しています。
平成23(2011)年 和歌山県教育委員会

 

周回路に戻ると、前山A13号墳周辺の古墳の説明板がある。明治期から発掘調査が行われた区域だった。

前山A地区 前山A13号墳と周辺の古墳
岩橋山塊から北に大きく延びる尾根上の標高約55~70mの付近には、円墳や方墳などが密に分布しています。ここは、岩橋千塚古墳群の中で最も古くから学術的な調査が行われてきた地点の一つで、明治40年(1907)の東京帝国大学の大野雲外による調査や、対象7年(1918)による「岩橋千塚第一期調査」が知られています。
直径約14~18mの円墳である前山A13号墳・A23号墳・A24号墳は、現在、横穴式石室が公開されています。また、南北約14mの方墳で箱式石棺をもつ前山A17号墳や、高さが低く小規模な円墳で竪穴式石室をもつ前山A9号墳など、周辺では5世紀から6世紀にかけて造られた古墳を観察することができます。
平成24年3月 和歌山県教育委員会

 

前山A9号墳の竪穴式石室の写真もあった。

 

周辺古墳のマップ部分。

 

案内板の前から周回路の上方を見ると、まだ訪ねていなかった古墳の姿が。 

 

坂を上がると開口部があった。

 

その説明板。

前山A23号墳
直径約14m、高さ約3.5mの円墳で、岩橋千塚古墳群のなかでは、標準的な大きさの古墳です。
石室はあまり大きくありませんが、内部に石棚と石梁を設け、床は板石で区画しています。
大正7年(1918)の発掘調査では、須恵器と呼ばれる、灰色で硬い土器が見つかっています。現在は見えなくなっていますが、石室の入口には石が敷かれていました。
平成21年 和歌山県教育委員会

 

 「あまり大きくない」石室に入らせていただいた。奥壁左隅をしゃがんで。上には石棚。

 

奥壁と天井。左下に光っているのが石棚。 

 

奥壁前から開口部。ここもかなり狭かった。

 

A23号墳の隣にあった A24号墳。

 

その説明板。 

前山A24号墳
直系約14mの円墳で、前山A23号墳とほぼ同規模の古墳です。横穴式石室には石梁が一本設置されています。石室の入口の上にも穴がありますが、盗掘坑と推定されています。
石室の入口には石組のない墓道部分が長く残っています。この墓道は前山A13号墳や前山A23号墳同様に西側の谷に向かっており、この付近は小規模ながら石棚・石梁のある石室をもつ古墳が集まっています。
平成21年 和歌山県教育委員会

 

ここも、しゃがんで手をつかないと入れなかった。

 

石室内には太い石梁が1本。

広角レンズ(が、付けられるカメラ)の必要性を強く感じました…

 

すき間に立って奥壁上部を。

 

振り返って”盗掘坑”

 

奥壁前から開口部。地面はかなりぬかるんでいた。

 

再び周回路に戻って降りていくと古墳群全体の説明板があった。ここを起点として時計回りに歩くことが想定されているようだ。 

 

古墳の基礎知識から学べる内容。円墳の墳形に2パターンあることは発見だった。→竪穴式石室は円錐(台)形、横穴式石室は半球形。

特別史跡 岩橋千塚古墳群 ~墳丘と埋葬施設~
◆古墳の形
岩橋千塚古墳群には、様々な形の古墳があります。古墳の形には、円墳・方墳・前方後円墳などがあります。これらは上から見たときの形を示していて、円墳は丸く、方墳は四角く、前方後円墳は四角と丸を前後に組み合わせた形をしています。
たくさんの古墳が密集したものを群集墳と呼びますが、岩橋千塚古墳群は全国的にもとくに大きな群集墳として知られています。丘陵上に前方後円墳が並び、周囲に円墳が密集している様相は、この古墳群の独特なあり方として注目されています。岩橋千塚古墳群の約9割は円墳で、残りの1割が方墳と前方後円墳です。

前方後円墳:
四角と丸と組み合わせた「鍵穴」形の墳丘の古墳。円墳より少し大きい程度の古墳カラ、80mを超す大規模な古墳まであります。

方墳:
四角い墳丘の古墳。前山A地区で古墳時代中期頃の小規模なものが集まっているほか、井辺地区に終末期の大規模なものが確認されています。

円墳:
丸い墳丘の古墳。横穴式石室を埋葬施設とする円墳は半球形で、竪穴式石室を埋葬施設とする円墳は円錐形になっています。直径10~15mくらいのものが多く見られます。

 

石室のタイプの説明。

◆石室の特徴
岩橋千塚の埋葬施設には、竪穴式石室と箱式石棺、横穴式石室などがあります。竪穴式石室は縦方向に穴を掘って石組の部屋を造ったもので、埋葬後に天井の石をのせ墳丘の土を盛ります。箱式石棺は竪穴式石室を簡略化したもので、板状の石を組み合わせて棺とし、埋葬後は蓋石をのせ土を盛ります。これに対して、横穴式石室は墳丘内に横向きに入口のある石組みの部屋をつくり入口に蓋をします。入口の蓋は、畿内地域では礫を積み上げてふさぎますが、岩橋千塚では扉状の石を使って石室入口をふさぎます。
竪穴式石室と箱式石棺は、5世紀代から使われていた埋葬施設で、埋葬施設ごとに埋めてしまうため一回の埋葬した使えません。これに対して、5世紀末ないし6世紀初頭につくられるようになった横穴式石室は、入口の扉を開ければ何度でも埋葬が可能です。このほか少数ですが、5世紀前半頃に粘土槨や礫槨を埋葬施設とする古墳も存在しています。

 

石棚と石梁がある「岩橋型」

◆岩橋型横穴式石室
岩橋千塚古墳群の石室は、地元の石材である緑色片岩を積んで造られています。横穴式石室には通常、埋葬用の部屋(玄室)と通路(羨道)がありますが、岩橋型横穴式石室では玄室と羨道の間を少し狭くして、扉石を立てかけてふさぐ構造をしているのが特徴です。この狭くなった部分を玄室前道あるいは通廊と呼んでおり、その床には大きな石(玄室前道基石)を置きます。
また、石室内に石棚や石梁と呼ばれる石材を使用するのも岩橋千塚の特徴です。全国の石棚のある古墳の約半数は岩橋千塚に集中しており、石梁はこの古墳群にしか認められない特徴となっています。石棚・石梁の使用目的は石室を強固につくるための補強材とも考えられ、将軍塚古墳では約4.3m、天王塚古墳では約5.9mと非常に高い石室が造られています。

◆主な古墳の形と埋葬施設
大日山35号墳 前方後円墳(86m)/横穴式石室
大谷山22号墳 前方後円墳(65~76m)/横穴式石室
将軍塚古墳 前方後円墳(42.5m)/横穴式石室
知事塚古墳 前方後円墳(34.5m)/横穴式石室
郡長塚古墳 前方後円墳(30.5m)/横穴式石室
前山17号墳 方墳(14m)/箱式石棺
前山A46号墳 円墳(27m)/横穴式石室
前山A67号墳 円墳(27m)/横穴式石室
前山A111号墳 方墳(11×11m)/竪穴式石室

以下、特別史跡地外
天王塚古墳 前方後円墳(86m)/横穴式石室
井辺八幡山古墳 前方後円墳(67m)/不明
花山8号墳 前方後円墳(52m)/粘土床
井辺1号墳 方墳(34×38m)/横穴式石室
前山B197号墳 積石塚(8.5m)/不明

平成21年 和歌山県教育委員会

 

紀伊風土記の丘の公式サイトにも「見学できる主な古墳」がまとめられていた。

http://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/kofun/kofun.htm

 

エントリを打っている2ヶ月後の今、 石室を見学できるA111号墳やA99・A100号墳へ行きそびれたことに気づいた・・・

再訪せよとのことでしょう。

 

近くには調査発掘の歴史を記した解説板もあった。

岩橋千塚と紀伊風土記の丘
岩橋千塚は、すでに江戸時代の天保年間にその存在が記録されている。学術的な調査としては、明治40年大野雲外(延太郎)がこの古墳群を調査して、石梁と石棚の架構された特異な横穴式石室を学会に紹介し、さらに翌年には、イギリス人 N.G.マンローがヨーロッパ学会で発表している。はじめての本格的な発掘調査は、大正7年から10年にかけて、和歌山県が中心となって実施された。その結果、歴史的に重要な古墳群として、昭和6年に国の史跡となり、さらに昭和27年には特別史跡に指定されている。その後、昭和38年から41年にかけて古墳群の保存資料の作成のため、和歌山市が中心となって発掘調査が行われている。
昭和46年8月、このような先人の努力のもとに、岩橋千塚古墳群の広域保存を目的として、約400基が分布する岩橋前山地区を中心に史跡公園紀伊風土記の丘が開設された。
県立紀伊風土記の丘

 

和歌山市のサイトにも詳しい。

http://wakayamacity-bunkazai.jp/iseki/5258/

 

両面埴輪が出土した場所を見たかったことがきっかけで、あまり下調べをせずに訪ねた古墳群でしたがさすが特別史跡、古墳界の舞浜のような夢の国(?)を堪能しました。

 

半日「しか」時間を取っていなかったので、資料館も含めて再訪したいと思います。

 

今回エントリ時に、大谷山22号墳のところでも触れた額田大玉さんの「古墳とかアレ(仮)」をたびたび参考にさせていただきましたが、悉皆調査のような偉業に改めて敬服しました(200基位でしょうか。見るだけでも力仕事です)

http://kofuntokaare.webcrow.jp/page006.html

 

OBITOさんの「大和國古墳墓取調室」にもお世話になりました。

http://obito1.web.fc2.com/iwasemaeyamaa1.html

http://obito1.web.fc2.com/iwasemaeyamaa2.html

http://obito1.web.fc2.com/iwasemaeyamab.html

天王塚古墳の現地説明会の報告も!

http://obito1.web.fc2.com/tennou18.html