前回のつつき。
岩橋千塚古墳群の前山B地区に並ぶ3つの前方後円墳のうち最大の将軍塚古墳(全長42.5m)は、後円部の横穴式石室へ入れるようになっていた(前回掲出写真)
入口脇にあった説明板。
将軍塚古墳(前山B53号墳)
6世紀後半に造られた墳長42.5mの前方後円墳です。前方部と後円部の両方に、横穴式石室が作られています。
現在公開している後円部の石室派、玄室長3.3m、幅2.2m、高さ4.3mあり、岩橋千塚古墳群の中で、天王塚古墳に次いで天井の高い石室です。
古墳は盗掘を受けていましたが、後円部石室から銀環、水晶製平玉、ガラス製の小玉、梔子(くちなし)玉と須恵器・土師器、前方部石室からガラス製小玉・須恵器・馬具が出土しています。
平成20(2008)年 和歌山県教育委員会
金属板やコンクリで防護されたトンネルを進んでいく。
通路に板石が置かれていた。
センサーで石室内の灯りがついた。 ありがたい。
頭をかがめて羨道部を進む。しゃがんで撮影。
こちらにも板石が置かれていた。
和歌山市のサイトによると、羨道を閉じていた「扉石」とのことだった。
http://wakayamacity-bunkazai.jp/iseki/7004/
頭をかがめて玄室へ。
見事な石積みに息を呑んだ。正面は奥壁と石棚。
視線を上へ動かすと、大きな石梁があった。
奥壁上部の筒は水抜き用に設置されたものか。
石梁の後ろに、斜めに持ち送られる側壁と天井石。
天井までの高さは4.3mもある。
片方の側壁から見上げた天井石(左が奥壁)
反対側の側壁から見上げて(右が奥壁側)
石梁で側壁を支えることで、室内のこの高さが実現している。
奥壁側から見た入口側、玄門。
羨道は玄室床面より20cmほど高くなっているが、河原石の床下に巡っている溝で排水させていた。
玄門の上には何枚も板石が積まれている。
それをフラッシュで。
奥から向かって右側の袖壁。
その上部。
側壁は板石ではないが、平らな割り口を内側に向けて丁寧に積まれている。
ところどころに嵌められた大きな石がアクセントになっていた。
羨道を抜けて現実の世界へ戻った。
石室を出て後円部の裾を回る。右は前山B44号墳。
後円部の裾から見上げた将軍塚古墳。
後円部から右側に前方部。
後円部の東側に将軍塚古墳の別の説明板があった。
前山B地区 将軍塚古墳と周辺の古墳
岩橋山塊の稜線上に位置する将軍塚古墳は、6世紀に造られた長さ約42.5mの前方後円墳で、前山B地区では最も大きい古墳です。前方部と後円部の南側にそれぞれ入口をもつ二つの横穴式石室が造られています。現在、公開されている後円部の石室は、石棚や石梁をもち、玄室(死者を埋葬する墓室)の高さが約4.3mと、岩橋千塚古墳群のなかでも最も発達した石室の一つです。
将軍塚古墳の東側には、直径約8~15mの円墳が分布しており、その多くは南から南東方向に石室の入口をもっています。前山B41号墳は、横穴式石室の特徴や出土した須恵器から7世紀初頭に造られたと考えられ、同古墳群のなかでは比較的新しい古墳です。
平成24年3月 和歌山県教育委員会
マップ部分のアップ。下が北。
こちらが多分、前山B45号墳の墳頂部。
こちらがおそらく前山B42号墳。
その墳頂部。
さらに前山B41号墳が並んでいた。
その説明板。
前山B41号墳
この古墳は横穴式石室をもつ直径8.0mの円墳ですが、石室の保護のため、平成16(2004)年度の発掘調査後に埋め戻されています。
玄室は幅1.62m、長さ1.82m~1.86mで、小型で正方形に近いタイプの石室です。古墳の北西では幅2.0m、深さ0.45mの周溝が確認されています。
平成16年度の発掘調査で出土した土器片から、7世紀初頭に築造されたものと考えられています。
平成22(2010)年 和歌山県教育委員会
つづく。