前回の緑山古墳の見学後、日没までに時間をにらみながら、作山古墳の南西側山裾の古墳へ。
目指した道満塚(どうまんづか)古墳は鬼ノ城の真南8㎞ほど、平地を挟んだ反対側の山の麓に立地していた。
同じ名称で2ヶ所ある。一つは水処理施設の北側丘上にある墓地。
上り道の分岐、石垣の基礎に大岩が。
それが横穴式石室の天井石だった。
降りるとしっかりした玄室が。
奥壁は見た目は正方形に近い一枚岩。
奥壁側から振り返って。
左右の側壁を。
正面が、羨道と玄室を区切る”まぐさ石”で、現状は天井石が抜けた状態。
スキマにカメラを入れて羨道部を。
石に足をかけさせていただいて地上に戻ります。
墓地(墳頂)から北側の眺め。
ズームで。右端に鬼ノ城跡が写っていました。
墳丘脇の道端に、大きな石材が。
水処理施設を左手に見ながら道を進みます。
振り返っての眺め(さきほどの墓地はこの左)
ズームすると、備中国分寺の五重塔が。
すぐ先に、道満塚古墳への案内板が。
膝下で笹をかき分け気味に。
普通の道(山道)に出て一安心。
すぐ先に説明板が見えて、さらに安心。
説明板の向かいに墳丘と、開口部らしき斜面が。
まずは説明板を。
山手村指定史跡
道満塚古墳
この古墳は、山麓のゆるやかな斜面を掘り込んで構築され、墳丘も、石室入口以外は、さほど崩れずに原形を保っています。
横穴式石室が、真東に向かって開口していて、現存する後期古墳では村内最大の円墳です。
このような古墳は、村内各地特に福山の北西の裾には群をなして築かれています。
副葬品や被葬者については不明ですが、立地・規模・構築法から、6世紀後半に築かれた地元有力者の複葬墓であると考えられます。
墳径約12m・高さ約3m
石室長さ6.5m・幅1.4m・高さ1.4m平成3年9月 山手村教育委員会 山手村文化財保護委員会
山手村は、1889年に窪屋郡西郡村・地頭片山村・岡谷村・宿村の4村が合併して生まれたが、2005年から総社市となっている。
総社市のサイトの解説によれば、道満塚古墳は地頭片山集落南部の標高約60m付近に築かれた山手地区最大の円墳。東に開口する横穴式石室を持ち、石室形状から6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。
墳丘:径約12m・高さ約3.5m
横穴式石室:現存長約6.7m・最大幅約1.8m・最大高約1.9m
http://www.city.soja.okayama.jp/bunka/kanko/shitei_bunkazai/si/si_24.html
大きな開口部が現れた。
少しかがんで、入室させていただきました。
懐中電灯で照らすと、きれいな奥壁が浮かび上がった。
開口部が広いので、フラッシュなしでも写真は撮れた。
一応フラッシュでも。側壁の石も巨大。
縦位置で。
奥壁前の床面。
奥壁に近づいて。立ったまま撮っています。
振り返っての開口部。
フラッシュなしで。
しゃがんで一息。
フラッシュで。
外からフラッシュで。
見学しやすい石室でした。