次に向かったのは香川県西端の観音寺市の国史跡・大野原古墳群。
公園の隅に残る角塚(かどつか)古墳。
新しい方の説明板。
史跡 大野原古墳群 角塚古墳
国指定年月日 平成27年10月7日
大野原古墳群は、椀貸塚古墳、平塚古墳、角塚古墳の順番で6世紀の終わり頃から7世紀前半までの約50年の間に築かれた古墳群です。3基の古墳は、この時期の古墳としてはとても大きく、死者を埋葬する横穴式古墳は四国島の中でも最大級の大きさです。このような規模の古墳が互いに近い距離で連続して造られている例は西日本でも珍しく、当時の政治や社会の様子を知る上で貴重な遺跡です。
角塚古墳は平塚古墳の次に築かれた、41.7m×37.8mの香川県内最大級の方墳で、四角錐のピラミッドのような形であったことが発掘調査によってわかっています。また、墳丘の周りには深い周濠が巡らされていました。
横穴式石室の全長は12.5mで、玄室の奥壁・側壁のおもな石材と石室すべての天井に花崗岩の巨石が用いられており、表面は滑らかに仕上げられています。石室の規模は椀貸塚古墳、平塚古墳、角塚古墳の順に小さくなりますが、その一方で用いられる石材のひとつひとつが大きくなり、羨道が長くなっている等の変化が観察できます。
7世紀第2四半期(西暦625~650年)の築造と推定されています。
観音寺教育委員会・大野原古墳群周辺整備実行委員会
古い方の説明板。
国史跡 大野原古墳群 角塚
角塚は、周濠をもつ方墳で、せん門は南向きの横穴石室で巨岩をもって築いてある。石室の構築をみると、玄室の側壁は1,2枚の巨岩で築き、天井石4枚でこれをおおっている。玄室の側面は巨岩を地面に対して殆ど垂直に立てている。玄室の高さは椀貸塚より低いが土木技術は進展している。後期古墳と考えられる。
形状および規模:方墳横穴古墳
周濠があった周り124m、高さ7.35m
発掘状況:玄室内は発掘済 須恵器鉄釘出土
所有者:大野原八幡神社
所在地:大野原町大字大野原1681番地
平成27年10月7日
しっかり施錠された入口。
羨道上は巨岩です。
しゃがむと奥まで見通せました。長いです。
ズームで奥壁を。
四角く整形された巨石が積まれていました。
振り返った公園ではゲートボールに熱中する方々。
墳丘に上がって公園の反対側(北方向)を。
北方向に降りて見返した墳丘。
その背面の駐車場脇にも「四角塚古墳」のピンが立っていました。ここも、かつての170基のひとつですね。
回り込むと石碑が。
きになる石材がいくつか。
このあと、残りの2基も回りました。
大野原の三大巨石墳
県指定史跡 昭和28年9月15日
大野原の扇状地には、かつて170基ほどの古墳が点在していたが、近世の開拓事業によってほとんどが姿を消してしまった。こうした中、町の中央部に位置する椀貸塚・角塚・平塚の三大古墳は、現在にその姿を残す県下最大の巨石墳群である。
この古墳は、この地域一帯を支配していた首長の墓であり、その石室形態や副葬品などに6~7世紀にかけて相次いで築層されたことが分かる。
平塚古墳
直径53mの県下最大の円墳で7世紀前半に築造されたものと考えられる。左後方のこんもりしたのが平塚古墳です。
角塚古墳
南北54m、東西45mの県下最大の方墳で7世紀中頃に築造されたものと考えられる。すぐ前方の古墳が、角塚古墳です。
椀貸塚古墳
大野原八幡宮の社殿真裏にあり、直径35mの円墳で県下最大の横穴式石室をもつ。6世紀後半の築造と考えられる。