前回の枚岡神社参拝後、駅前まで戻ってから南の五条古墳を目指しました。
出だしの道沿い、家の後ろに松本塚古墳があったことに今気づきました…
左手に生駒山地を見ながら進みます。
出雲井町の由来は枚岡神社境内にある出雲井という井戸だそうですが、そもそも出雲とつくところに歴史の印が感じられます。
その先で左に入って登った突き当りにある配水場。
その西隣に五条古墳の墳丘がありました。
残念ながら柵で囲まれ厳重に施錠。
説明板です。
史跡 五条古墳
標高約50mにあり、山の尾根を切断して造られた2段築成の方墳です。周囲は開かれて水田となっていますが、墳丘はよくもとの形を残し、特に南と西は古墳の造り方がはっきりとわかります。また、墳丘下部に割石が残っていて、葺石が存在することも知られます。一辺の長さ30m、高さ7mの規模で、各辺はほぼ東西・南北に一致し、南西に横穴式石室が開口しています。石室は床面にかなりの土砂が堆積していますが、両袖式の横穴式石室で、埋葬空間である玄室の長さ5m、奥壁の幅2.5m、高さ約3mを測り、その前に入口から玄室までの通路である羨道が約7mのびています。昭和10年に故梅原末治博士によって調査されましたが、遺物などは古く刀剣が出土したと伝えられているほか不明です。
東大阪市域の方墳としては、現在は残っていない山畑18号墳・30号墳・墓尾3号墳と、現存するイノラムキ古墳、二本松古墳とこの五条古墳があげられます。完全な形の墳丘を残し、内部構造のわかる方墳として、五条古墳は市の文化財(史跡)に指定されています。
平成14年12月 東大阪市
右手に、金網沿いに墳丘を見ながら。
金網の隙間から。
開口部はわからず。
金網の先、ちょっと南へ続く道。
そこから南西側の眺めです。右端があべのハルカス。
北西側。あべのハルカスは左端。
墳丘の斜面下(西)側にも小径がありましたが、墳丘に近寄ることはできませんでした。
他の方のブログを見ると、かつてはこの石室に”住人”がいたそうな。
それが厳重警戒の理由なのでしょう。