9号墳から300mほど南には、道路からも開口部が見える一基がありました。
石清尾山古墳群には積石塚と横穴式石室の2つグループがあるとのこと(両者の関連はわかっていないそうでうが)
石清尾山2号墳
史跡 昭和60年7月16日指定
石清尾山古墳群は、石を積んで造られた4世紀代の積石塚古墳が集中することで著名であり、またこの一帯はその総数をはるかにこす多くの横穴式石室墳が一帯に所在する。石清尾山2号墳もこの中の一つである。
横穴式石室墳は石で造られた部屋(玄室)と、それへの通路(羨道)からなり、追葬と言って多くの人々を葬れることから、家族の墓と考えられている。積石塚古墳が少数の人々を葬っているのと大きな違いである。
石清尾山2号墳が造られたのは、古墳時代も終わりの6世紀の末から7世紀の初めにかけての時期で、積石塚古墳との関連はわかっていない。
昭和60年に石清尾山古墳群が国の史跡に指定されるにあたって、最も残りの良い横穴式石室墳であることから、併せて指定された。
高松市教育委員会
正面から広角で。
明るい内部でした。
奥壁は大きな一枚岩。
奥壁を背にして。
天井石が抜けたところから差し込む朝日。
墳丘を側面から。左が開口部。春には桜の花の下。
背面側から。
そこから左を見やった時に気になるものが(画面中央)
マップにピンは立っていなかったですが、立派な開口部。
開口部に正対して。
フラッシュで現れた姿は2号墳より大きな石室でした。奥壁は4段積みになりましたが、側壁の石が大きいです。
フラッシュが無くても写りました。
奥壁を背にして。
現地で気がついてよかったです。
平家蟹さんのサイトで、上記が3号墳と知りました。
満開下の2号墳も!