石清尾山2号墳の見学後、徒歩6分と出ていた猫塚古墳へ。
目の前は舗装道路だったが、先がわからなかったので第3駐車場に停めたままで。
進んで行くと道路沿い(左手)には露出した石が。
途中で右に散策路へ入りました。
ほどなく、大きな積石塚の前に。
説明板もありました。全長100m近い双方中円墳!しかも積石塚。非常に希少です。
猫塚古墳
史跡 昭和60年7月16日 国指定
この古墳は、全国的にも稀な形式の双方中円墳(積石塚)で、石清尾山古墳群中で最も大規模で全長は約96m、高さは5mである。同形式の鏡塚古墳とともに古墳群の中でも古いもののひとつである。
中円部は、突出部に比べて非常に高くなっており、1910年に大きな破壊を受け中央が大きく変形している。中央に大きな竪穴式石室一基とそれを取り囲む八基の小さな石室があったと伝えられている。
中央の石室から鏡、小銅剣、石釧(腕輪の一種)、筒形銅器、銅鏃、鉄斧、鉄剣、鉄刀、鉄ノミ、鉄ヤリガンナ、鉄鏃、土師器等が発見され、東京国立博物館に所蔵されている。
高松市教育委員会 高松営林署
大量の石が人手によるものと知ると圧倒されます。
踏み跡を辿って墳長へ。
”円墳”の中央は深く抉られていました。
明治43年(1910)に鉱山試掘を偽った計画的な大盗掘に会ってしまったそうです。
酷いです。
”クレーター”内部にあった石室の解説。
包まれたキャンディーのようなこの形。右上が北になっています。
竪穴式石室
猫塚古墳の埋葬施設は、聞き取り調査により、中円部に多数の副葬品があった大規模な竪穴式石室が1箇所存在し、さらに周辺に小規模な竪穴式石室が複数存在していたことが推定されている。現在はほとんど現存しないが、唯一残っていた一カ所を埋め戻し保存している。この石室は長さ数m幅1m程の小規模なものであり、埋葬頭位は東西方向を指向している。高松市教育委員会
クレーターの底あたりから。
クレーターの周囲から。
クレーターの尾根伝いに西へ行くと、展望が開けました。
右上が北だとすると、西北西側のこちらは掘り返した石を移した場所だったのですね。
額田大玉さんの指摘でやっと理解できました。
そこからは高松市の西側平野が一望できましたが。
グーグルアースで。右上と左下に二つの前方部がついていたはずですが、現地でもその形状を把握するのは難しかったです。
中円部(または一方部の双方部)の端の急斜面。
そこを上から。
土を盛るのも大変ですが、石を積むのももっと大変かもと思いました。
なぜ「猫」なのかは、ちょっと検索しただけでは判りませんでした。
猫耳?