墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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造山古墳群(2号墳・3号墳:古代出雲王陵の丘 造山公園) 島根県安来市荒島町

造山(つくりやま)古墳群は、トイレもある駐車場を完備した「古代出雲王陵の丘」として整備されています。

 

公園全体の案内図。

古代出雲王陵の丘案内図
この「古代出雲王陵の丘」には、国指定史跡・県指定史跡となっている古墳が点在しています。ここには古代出雲を治めた歴代の首長が葬られています。
日本では4世紀から7世紀にかけて、各地の首長が競って大きな古墳を築きました。この時代を古墳時代と呼んでいます。
荒島の地には、弥生時代の終り頃から古墳時代にかけて、四隅が突き出た、全国的にもめずらしい形の墳墓(国指定史跡仲仙寺古墳群・県指定史跡塩津方墳)が分布しています。また4世紀に築かれた竪穴式石室の古墳(国指定史跡造山1号墳・県指定史跡造山3号墳・大成古墳)が至近距離にあります。これらの古墳はそのころの各地域の最も高い地位にあった首長のみが築くことができたものです。このような山陰地方で、最も古い時期の古墳が3基も隣接している例は他にありません。
このことから、この地域が古代出雲で最も輝いていたことを示す証といえます。これにちなんで「古代出雲王陵の丘」と命名しました。
薄紫の島根半島、波静かな中海を望むこの丘に立ち、古代出雲に思いをはせていただければ幸いです。
この「古代出雲王陵の丘」は、リーディングプロジェクト神話と鉄学の道事業に関連し、自治省のふるさと特別対策事業の指定を受け、郷土に誇りと愛着のもてる地域づくりを目指し整備しました。
平成5年3月安来市教育委員会

 

駐車場には「ふるさと賛歌 古代出雲王陵の丘」の歌詞も掲出。

 

ここからの登りがなかなかのものでした(172段←「出雲の古墳アドベンチャー」より)

 

登りのご褒美は、素晴らしい墳丘。

 

そして、見事な眺望。

 

古代も、中海を行き交う舟が良く見えたことでしょう。

 

山陰線の姿も。

 

造山2号墳(と4号墳)の説明板。目の前の2号墳は6世紀になって築かれた全長約50mの前方後方墳です。

造山2号墳
造山2号墳は、全長約50mの前方後方墳です。
古墳全体に葺石が施されています。葺石は屋根瓦を葺くように敷き詰めることからその名があり、盛土の流失防止とともに古墳の外観を荘厳にみせる効果があります。
この古墳には埴輪も並べられていました。1991年の調査で、前方部と後方部のくびれのあたりから須恵器(窯で焼かれた硬質で灰色の土器)、土師器(赤褐色の軟質の土器)、さらに多くの円筒形埴輪の破片が見つかりました。
これらの土器や埴輪の特徴から、造山2号墳が築かれたのは6世紀の初めころと考えられます。埋葬施設については未調査のため不明ですが、前方部の中央に埋葬施設の一部とみられる石材がありました。このことから埋葬施設は後方部だけではなく、前方部にもあったものと考えられます。

造山4号墳
造山4号墳は、造山2号墳の東約13mの位置に築かれた一辺約13mの方墳と考えられます。裾部には、円筒形埴輪が1m間隔で飾りたてられていました。
埴輪は2号墳のものとよく似ており、築かれた時期は6世紀の初めごろと考えられます。

 

くびれ部裾から後方部の隅を。


前方部に上がって後方部を。

 

後方部に上がって前方部を。

 

スマホ広角で。

 

後方部墳頂から中海の眺め。最高の立地では。


後方部の先端側。すぐ先の高まりは造山4号墳。


前方部右裾から見上げた造山2号墳。

 

その背後に東屋があり、奥に3号墳への道が続いています。


一旦かなり下ります。

 

尾根上を回り込んでいった先に。

 

造山3号墳は4世紀頃に築かれたと考えられる40m×30mの方墳です。

 

その説明板。

造山3号墳
造山3号墳(島根県指定史跡)は、東西約40m・南北約30mの大形の方墳です。
1965年の発掘調査で、古墳の中央部で細長い竪穴式石室が見つかりました。この石室は長さ約5m・幅約1m・深さ約1mあり、床面は玉砂利敷きとなっていました。棺や遺体は腐食してなくなっていましたが、玉砂利敷きの中央が、丸木船の底形にくぼんでいたことから割竹形木棺が納められていたと考えられています。石室には、東西と中央砂利敷きの下に排水溝が設けてあり、南側で合流する仕組みとなっていました。
石室の内には、大陸から輸入された銅製の斜縁二神二獣鏡1面、さらにガラス製小玉33点、青瑪瑙製管玉30点、鉄製小刀などが納められていました。これらの特徴から造山3号墳が築かれたのは4世紀頃と考えられます。
銅製の鏡などの宝物、さらに当時の各地域の最も高い地位にあった首長しか用いることができなかった入念な構造の竪穴式石室の存在は、古代出雲を支配した王の陵(墓所)にふさわしいものといえます。

 

セイタカアワダチソウの踏み分け道から墳頂へ。


墳頂は平らで広かった。

 

南西方向が見渡せました。

 

先の駐車場にはかなり読めなくなった説明板もありました。

上記の本文の最初には1号墳についての解説があったことに今更気づきました。

1号墳は、標高30mの丘陵最高所の北西側に立地する方墳で、墳丘に葺石を持ち、中海側から望めば一辺60m・高さ10mほどの二段につkるあれた大方墳と見えるように築かれている。昭和11年(1936)に竪穴式石室(第一石室)が、同13年にその南西の竪穴式石室(第二石室)が発見されている。第一石室からは三角縁神獣鏡1、方格規矩四神鏡1・ガラス製管玉・鉄刀・塔図などが、第二石室からは方格規矩四神鏡1・紡錘車型石製品、鉄刀・鉄剣・刀子が出土している。また大型の円筒土器を利用した土器棺も発見されている。

 

一辺60mもある大きな方墳・1号墳があることを、現地では認識しておらず…

 

下記のサイトにも、1号墳が大成古墳と並んで古墳時代前期の100年間において全国で一番大きい方墳であると。

古代出雲王陵の丘 | 安来観光ガイド -安来市観光協会が安来周辺の観光をお手伝いします-

 

まりこふんさんの下記の本にも1号墳についての記載あり(携行したのですが…)

ちょっと藪気味ところへは入るようですが。

再訪したいと思います。


平家蟹さんは公園化前の1995年に訪問されていて、現在は埋め戻されている1号墳の竪穴式石室を見学されています(貴重な写真あり)

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