前回に続いての、東大阪市立郷土博物館の東側に残る山畑古墳群。
今回は横穴式石室の残る22号墳です。
墳丘の南側に開口部があります。説明板には直径15mとあるので、手前の石は公園整備に伴うものでしょう。
その説明板。
山畑22号墳
この古墳は、円形の墳丘を東西に2つならべた「双円墳」と呼ばれる、6世紀後半につくられた古墳です。
東側の墳丘はすでに壊され、現在では片袖式の横穴式石室をもつ直径約15mを測る西墳丘だけとなっています。横穴式石室は、生駒山で採れる石を積み上げて壁をつくり、床面には石を敷き詰めています。床面からは木棺に使用した鉄釘ととに、須恵器の装飾壺・土師器の椀をはじめとする土器類、直刀・耳環・子持ち勾玉などの副葬品が出土しています。これらの副葬品のつくりかたの特徴から山畑22号墳では、6世紀後半頃に埋葬が2回行われたと推定できます。
このあたりの両脇は羨道壁の名残でしょうか。
ここから天井石が残ります。
スマホ広角で。
そして玄室へ。床の石はゴロゴロしていて注意が必要です。
広角で。
奥壁を背にして広角で。
フラッシュで。片袖式であることがわかります。玄門上には巨大な楣石。
外に出て墳丘を
天井石が露出。
同じ位置から西方向をズーム。あべのハルカス見えてます。手前は博物館の屋根。
同じ位置から東側。双円墳の東側があった場所。植え込みの後ろに並んだ石が石室跡でしょうか?北側に向いているので違う?
東墳跡の先から振り返って。