墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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経塚古墳 京都府京丹後市久美浜町布袋野

前回の塚ノ元古墳の180m西、谷の端にある経塚古墳。

すぐそばの道路から説明板が見えますがすぐにルートが見つからず。

 

100mほど北の枝道から回り込めました。右の道の突き当り。

 

墳丘に到達。天井石の左上奥に塚ノ元古墳が見えています。

 

玄室の”基底石”が残るのみの石室でした。

 

その説明板。

経塚(きょうづか)古墳
経塚古墳は、古墳時代後期末葉(6世紀末葉)に造られた古墳です。道をはさんで東側に位置する塚ノ元古墳とともに、横穴式石室を埋葬施設としています。
1989年に行われた発掘調査の結果、横穴式石室は玄室の基底石(基礎に置かれた石)が残るのみでしたが、長さ5.1m以上、幅1.96~2.3mを測ることがわかりました。なお、墳丘は後世の開墾によって削平を受けており、大きさなどは不明です。
横穴式石室の床面からは、埋葬時におさめられた須恵器、鉄製の武器(刀・鍔・鉾・鏃など)、馬具、耳環などが見つかりました。このうち鉄製の鍔には、銀象嵌がほどこされています。出土した須恵器の形から、経塚古墳は6世紀末葉に造られ、7世紀前半にかけて追葬されたと考えられます。
見つかった横穴式石室の床面積は、高山12号墳(丹後町徳光)や湯舟坂2号墳(久美浜町須田)につぐ大きさのものです。経塚古墳は、川上谷川上流地域を支配した有力者のお墓と考えられます。
京丹後市教育委員会

 

奥壁側から。すぐ先は崖で、玄門があったあたりも崩落しています。

 

崖から落ちないように注意しながら。右奥も石室石材と思われます。

 

北側から。


見学後、少し北へ移動して、振り返った”谷”

川上谷川が流れているので、川上谷というのでしょうか。