墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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椀貸塚古墳・岩倉塚古墳(大野原古墳群) 香川県観音寺市大野原町

前回の平塚古墳の北東500mほどにあるのが椀貸塚古墳。

大野原八幡宮の本殿裏手です。拝殿に参拝して後ろ側へ。

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社殿の左から回り込むと、本殿裏に石垣で保護された墳丘断面がありました。

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近づけないのでズームで。

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高さ1m位の開口部でしたが奥は15m近くもあり、全長6.8mの玄室は高さが3.9mもある大石室とのことです。椀貸塚古墳 - 観音寺市ホームページ

 

見慣れた説明板も。

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史跡 大野原古墳群 椀貸塚古墳
国指定年月日 平成27年10月7日

大野原古墳群は、椀貸塚古墳、平塚古墳、角塚古墳の順番で6世紀の終わり頃から7世紀前半までの約50年の間に築かれた古墳群です。3基の古墳は、この時期の古墳としてはとても大きく、死者を埋葬する横穴式古墳は四国島の中でも最大級の大きさです。このような規模の古墳が互いに近い距離で連続して造られている例は西日本でも珍しく、当時の政治や社会の様子を知る上で貴重な遺跡です。

椀貸塚古墳は直径37.2m、高さ9mの円墳です。墳丘の周りに二重の周濠と周堤をもつ全国的に珍しい古墳であることが発掘調査によって明らかとなっています。
横穴式石室は使者を横たえる玄室の手前に、小さな空間(前室)がある特徴的なつくり(複室構造)をしています。全長は14.8mと長く、四国島最大の横穴式石室です。また、玄室内部の床面積は24.6㎡ですが、これは6世紀に造られた古墳の中では国内トップクラスの規模のあたります。
6世紀後葉の築造と考えられています。
平成29年12月 観音寺市教育委員会・大野原古墳群周辺整備実行委員会

 

大野原古墳群は、平塚古墳・角塚古墳・椀貸塚古墳が500m内の直線上に立地していますが、首長墓が三世代にわたり継続的に築造されているという点で、西日本での貴重な例なのだそう。

大野原古墳群 椀貸塚古墳 平塚古墳 角塚古墳 岩倉塚古墳 文化遺産オンライン

 

本殿右側にも説明板と石碑が。

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国史跡 大野原古墳群 椀貸塚
椀貸塚は周りに濠をめぐらした(現在は埋めている)大円墳で我が国古墳の特色を示すものである。羨門は南向きの横穴石室で巨岩(推定35トン)をもって築いてある。石室の構築からみて、椀貸塚が最も古く玄室は巨岩を5段に積み重(つめ石を使用)天井石4名でおおっている。玄室の高さは3つ古墳中で最も高い。後期古墳と考えられる。
形状および規模:円墳横穴古墳 葺石あり 周濠があった周り110m 高さ7m
発掘状況:玄室内は発掘済、鉄釘、須恵器出土
所有者:大野原八幡神社
所在地:大野原町大字大野原1913番地
平成27年10月7日

 

少し引いた位置から。社殿側で墳丘がスパッと削られているのがわかります。

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墳丘を開口部の背面側から。

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椀貸塚古墳では二重周濠と周堤が見つかっています。

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椀貸塚古墳の二重周濠と周堤
椀貸塚古墳は、古墳時代の終わり頃に土を盛って造られました。
平成23年に、隣の大野原小学校の校庭の中で発掘調査が行われ、椀貸塚古墳の周りを囲んでいた二重の周濠(内濠と外濠)と周堤が発見されました。周濠は、古墳の周りに掘られた大きい溝、周堤は古墳の周りに土を盛って造った土手のことですが、椀貸塚古墳のように、古墳時代の終わり頃に造られた大型かつ円い形の古墳で二重の周濠と周堤を持っている例は全国的に珍しいため、この古墳に葬られた人物が大きな力を持っていて、その権威の象徴として古墳をより大きく見せようとしたのかもしれません。
このように、椀貸塚古墳の大きな特徴となっている二重の周濠と周堤ですが、この二重の周濠と周堤を含めると、椀貸塚古墳の範囲は直径70mにもなります。大野原古墳群周辺整備実行委員会では、発掘調査で分かったことをもとに校庭の中に周濠と周堤の一部を復元しました。砂利の部分は周濠の範囲を、土を盛り上げている部分は周堤の範囲を表しています。復元された周濠と周堤をみて、壮大な椀貸塚古墳の全体を想像してみてください。
観音寺市教育委員会・大野原古墳群整備実行委員会

 

上記の「復元された」箇所はわかりませんでした。

説明板裏手の小学校校庭。

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そこから奥(北東)を見ると、もうひとつ墳丘が。

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それが岩倉塚古墳でした。開口部と説明板。

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国指定史跡 大野原古墳群 岩倉塚古墳
指定日 令和2年3月10日
岩倉塚古墳は、周濠を持たない直径36.4~38.2mの円墳で椀貸塚古墳に近接して位置しています。
埋葬施設は横穴式石室を東西二基備えていたことが明らかとなっています。西石室は玄室の一部のみ残存しており、その長さは4.4m~4.5mを測ります。東石室は現存していませんが、石材が抜き取られた跡などが発掘調査で見つかったことから、その存在が判明しました。
また、同じく過去の発掘調査において、墳丘が椀貸塚古墳の外濠に一部被せるようにして築造されていることが明らかとなっており、椀貸塚古墳との密接な関係性を窺うことができます。
6世紀後葉(椀貸塚古墳の直後)と推定されています。
令和2年3月 観音寺市教育委員会・大野原古墳群周辺整備実行委員会

 

網目の密な扉。

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フラッシュを使うと、網目の影が反映されていましました。

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開口部を逆側から。

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