墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大室古墳群(大室谷支群)その6 長野県長野市松代町大室

前回につづいての、大室古墳群・大室谷支群のエントランスゾーン(村東単位支群)

 

241号墳は合掌形石室を復元。石棺といっても良いくらいのサイズ感でした。

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手すりの内側からだと、ちょっとわかりにくい三角屋根。

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西側に回ってズームで。

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241号墳の解説板。

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241号墳
■墳形 円墳(直径約14m)
■埋葬施設 合掌形石室
■年代 6世紀前半
合掌形石室を埋葬施設とする積石塚古墳では、大室古墳群で最も標高の低い位置にあります。
墳丘上からは埴輪や土師器、須恵器、合掌形石室からは剣菱形杏葉や環状雲珠などの馬具、鉄鏃、ガラス玉が出土しました。合掌形石室は埋め戻した後、失われた天井石を復元しました。

 

資料館の説明板によれば、合掌形石室は全国で約40基ほどで福島県に1基、山形県の2基以外は長野盆地に集中しており、そのうち約25基が大室古墳群にあるとのことでした。

 

241号墳の北隣りに27号墳。

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27号墳
■墳形 円墳(直径約12m)
■埋葬施設 横穴式石室
■年代 古墳時代後期
整備前は墳丘の半分が周辺の開墾によって失われ、横穴式石室の裏側が露出していました。また横穴式石室は崩落が進んで内部が土石で埋まっていました。このため、整備では全体を埋め戻し、発掘調査で見つかった墳丘端部の石列を復元しました。長野市教育委員会

 

その南東に29号墳。

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29号墳を別の角度から。右斜め後ろは240号墳です。

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29号墳の解説。

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29号墳
■墳形 不明(規模不明)
■埋葬施設 不明
■年代 5世紀後半~6世紀前半
墳丘・埋葬施設とも原形をとどめていませんでしたが、発掘調査により墳丘上に埴輪が並ぶ積石塚古墳と判明しました。埋葬施設は痕跡も残っていませんでしたが、241号墳と同じ合掌形石室であったとも考えられます。復元整備は行わず、以前の状況をそのまま表示しています。長野市教育委員会

 

241号墳の北側に242号墳。拳大の石が積まれているのが特徴です。

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242号墳
■墳形 円墳(直径約10m)
■埋葬施設 横穴式石室(両袖形)
■年代 7世紀前半
整備前には墳丘の上部が削平され、天井石を失った横穴式石室が露出していました。墳丘には握り拳ほどの小さな石が多く使われ、本墳の特徴となります。整備では横穴式石室を埋め戻して範囲を表示し、墳丘は表面に小型の石を積み上げて積石墳丘を復元しました。長野市教育委員会

 

園路を挟んで北側に26号墳。手すりの前まで行って横穴式石室を上から眺めます。

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26号墳
■墳形 円墳(直径約14m)
■埋葬施設 横穴式石室(胴張形)
■年代 7世紀前半
整備前には墳丘盛土石の一部が失われて横穴式石室が露出していました。また、横穴式石室(玄室)の天井石は一石のみが石室内に落ち込むように残っていました。このためん、失われた墳丘を復元して墳丘上に立ち入れるようにし、上から横穴式石室が観察できるように整備しました。長野市教育委員会

 

その北側の林にも複数の古墳。中央やや右奥が26号墳、その左手前の積石塚がB号墳、その後ろがA号墳、左の木の根元がC号墳、その左奥がE号墳。D号墳は写っていませんが、E号墳の左にあります。

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まずはC号墳。

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C号墳
■墳形 円墳(直径8m)
■埋葬施設 横穴式石室(胴張形)
■年代 7世紀
直径約8mと推定される小型の古墳です。墳丘は石と土による土石混合墳と考えられています。墳丘は北西側がほとんど削平されて、原形をとどめていません。また、墳丘上部も改編されており、横穴式石室の上部も失われていました。このため、復元は行わず、遺構表示をしています。長野市教育委員会

 

園路をはさんでB号墳。

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B号墳
■墳形 円墳(直径約7m)
■埋葬施設 横穴式石室(胴張形)
■年代 7世紀
直径約7mの小型の古墳です。石のみで墳丘を構築した積石塚古墳です。墳丘の残存状況はあまり良くはありませんでしたが、積石内から小型の横穴式石室が確認されています。ただし、石室は天井石が失われるなど破損が著しいため、埋め戻して保護し、積石墳丘を復元しました。長野市教育委員会

 

B号墳の右となりの木の根の穴に、表示は見当たりませんでしたが…

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カメラを差し込むと小型ながらきちんとした石室のようでした。

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C号墳の奥にE号墳。

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E号墳
■墳形 円墳(直径約10m)
■埋葬施設 横穴式石室
■年代 7世紀後半
平成19年に畑の下で確認された古墳です。墳丘はすでになく、横穴式石室も羨道の一部と玄室の床面のみでしたが、床面からは鉄鏃・刀子・耳環などの副葬品や人骨が出土しました。古墳の残存状況が悪かったため、整備では墳丘の復元は行わず、墳丘範囲の表示を行いました。長野市教育委員会

 

その奥のD号墳。史跡エリアの北端です。

 

D号墳
■墳形 円墳(直径約12m)
■埋葬施設 横穴式石室
■年代 6世紀後半か
石のみで墳丘を構築した積石塚古墳です。横穴式石室は壊れていましたが、石室最下段の石を立て、その上に石を平積みして壁面を構築する特殊な形態であることがわかりました。同様な石室は史跡内の187号墳でも見ることができます。石室は埋め戻し、積石墳丘を復元しました。長野市教育委員会

 

園路を回り込んで、A号墳。

A号墳
■墳形 円墳(規模不明)
■埋葬施設 横穴式石室(胴張形か)
■年代 6世紀後半~7世紀前半
かつては26号墳の一部とみられていましたが、発掘調査により別の古墳であることが明らかとなりました。26号墳の墳丘が本墳の上に一部重なっているとみられることから、26号墳に先行して造られたと考えられます。残存状況が悪いため、復元は行わず、遺構表示をしています。長野市教育委員会

 

A号墳の右から、26号墳の墳丘が被さっています。

 

史跡エリア入口の広域案内板。

154号墳、168号墳(合掌形石室)、195号墳(積石塚)、239号墳、244号墳の位置が示されていました。