大室古墳群の古墳公園エリアの北端には上信越自動車道が通っています。
その北端エリアは谷の出口、古墳群では最も標高が低い、”里側に近い”立地。
そのエリアにある243号墳。
格子窓の位置は、奥壁脇の盗掘坑だったところ。
243号墳
■墳形 円墳(直径約12m)
■埋葬施設 横穴式石室(無袖形)
■年代 6世紀後半
整備前や墳丘の約半分が失われ、横穴式石室が露出していました。また、石室の奥壁近くでは壁の石を抜き取った盗掘坑が開いていて、崩壊寸前の危険な状態でした。このため、石室の崩壊を防ぎ、大室古墳群では珍しい盗掘坑から横穴式石室が覗けるよう、整備を行いました。長野市教育委員会
内部の様子。左が奥壁、正面は側壁です。
開口部側に回り込んで。
開口部側は立ち入り禁止。
そのとなりには244号墳の威容。土石混合の急傾斜表面は異様?
別名は将軍塚だそう。周囲の笹の部分がテラス状になっている二段築成です。
飯縄山がくっきり見えていました。左肩の白い三角が高妻山、左端に戸隠連峰。
真西に向く開口部。斜面は遊具というよりボルダリング的雰囲気。
大室古墳群中で、唯一周溝を備えます。
244号墳
■墳形 円墳(周溝を含む復元径約30m)
■埋葬施設 横穴式石室(両袖形)
■年代 7世紀後半
墳丘は二段築成で、周囲には大室古墳群で唯一、周溝を備えています。横穴式石室も全長約12mを測り、「将軍塚」の別名どおり、名実ともに大室古墳群最大規模の古墳です。急角度の上段墳丘の外面に露出する「石垣状石積」は、一般の古墳では見られない本墳の特徴です。長野市教育委員会
大きな石室。扇風機で換気されています。
見事な奥壁。
フラッシュで。
奥壁を背にして。
244号墳から30mほど南の23号墳は、高速建設に伴ってここに移築されています。
23号墳
■墳形 円墳(18m×13m)
■埋葬施設 横穴式石室(両袖形)
■年代 7世紀前半
本墳は北側の高速道路用地内にありましたが、発掘調査の後、移築・復元を行いました。石室を解体すると、奥壁の一枚石は自立していて、重さが約5トンもありました。これほどの巨石を自立させることは難しく、古墳時代の石工技術が非常に優れていることがわかりました。長野市教育委員会
外見とは裏腹に、大きな石室。
奥壁の半分が積石。右は5トン!
フラッシュで。
奥壁を背にして。ここはすでに(4月8日時点で)蚊が大量に飛び交っていました。
さらに30m南に245号墳。
245号墳
■墳形 不明(規模不明)
■埋葬施設 横穴式石室
■年代 古墳時代後期
破壊が激しく、墳丘の形態や規模、埋葬施設の詳細についてはわかりませんでした。散乱する石材からは横穴式石室であったと考えられます。本墳は「死人塚」と呼ばれていますが、古墳上に祀られている石祠に由来するのかも知れません。古墳には特に手を加えず、史跡指定時そのままの姿として整備を行いました。長野市教育委員会
さらに南(斜面上側)に246号墳。石が無くなった奥壁側(東)から。
西側の開口部から。
解説板と、石列と。
246号墳
■墳形 円墳(直径約12m)
■埋葬施設 横穴式石室(無袖形)
■年代 6世紀後半
整備前は墳丘はほとんど失われ、奥壁がない状態で横穴式石室が露出していました。発掘調査の結果、墳丘内に埋められた3列の石列が確認されました。また、墳丘内からは底に穴をあけた壺形土器が出土しています。整備では3列の石列を復元し、築造途上の古墳の姿を再現しました。長野市教育委員会
振り返った景色。
左手前が246号墳、その左後方に245号墳、中央やや右に23号墳、その右肩に244号墳、その右に243号墳。
246号墳の脇から谷の北方向。
上記の右端に見えていた岩塊。グーグルマップには、鳶岩ロッククライミングエリアと記されていました。
大室は石室石材となる石が豊富に採れる場所でした。