多伎宮古墳群を見学した後は、相の谷古墳群を目指したが、途中で「牛神古墳」の看板が目に入ったので立ち寄りました。
県道155号沿いに墳丘が。(全景を撮っていなかったのでストリートビューで)
右のトイレは家形埴輪的な屋根、その後ろには出土品の展示施設もありました。
駐車場には「古墳の里 あさくら」の解説板。
古墳の里 あさくら
朝倉村の古墳は、5世紀から7世紀にかけて千数百年前に造られた墳基である。
かつては、村内に300基以上もあったといわれるが、現在では約50基が見学可能なものとして確認される。
出土物は、朝倉村ふるさと美術考古館に展示されている。
先人の遺された貴重な文化財であり、本村の誇りである。
現在地のインフォメーション。
駐車場の後ろの階段を登ると「牛神(うしがみ)古墳」の説明板。
円墳ですが、竪穴式と横穴式の2つの石室を持ちます。
牛神古墳
本古墳は直径13m墳丘高4mと推定される円墳であり、墳丘内に2つの埋葬遺構を持つ一墳丘二石室の古墳である。
古墳の造営は遺構や副葬品が6世紀後半の時代と推定される。
内部主体は横穴式の石室で全長6mで玄室全長4m、奥壁幅2m、天井高2.5mの両袖式の石室である。一基は全長2m幅1m~1.3mの竪穴式石室であった。石室の主軸方向は北35度東と北25度東をとる。副葬品としては装身具の他に須恵器や鉄器である。出土遺物
須恵器
1,高坏
2,坏(坏身、坏蓋)
3,壺(短頸・広口壺・長頸)
4,瓶
5,瓶(堤瓶・平瓶)
6,鉢(高台浅鉢)
装身具
1,勾玉(ガラス製)
2,管玉(出雲石)
3,ガラス玉(丸玉・臼玉・ビーズ玉)
4,耳環(金・銀鍍金)
金属器
1,武具(鉄鏃)
2,農具(鍬先)
3,農具(馬鈴)
4,工具(ヤリガンナ)
5,生活具(止め道具)朝倉村教育委員会
柵越しですが灯りがつき、奥壁まで見えました。
きれいに積まれています。羨道から玄室へは一段下がるように見えました。
開口部を背にして南西方向。
北東方向。丘陵が平地に出る先端の立地です。
上記の中央部をズーム。海(燧灘)が見えました。
時計と逆回りに進んで行くと、斜面に「陪塚」の札。
2つの石室以外にも埋葬施設があったのでしょうか。
墳丘から降りて、展示施設へ。出土した須恵器をガラス越しに見る屋外ギャラリーになっていました。
多伎宮古墳群見学に思いの外、時間がかかってしまいちょっと焦り気味で、自分はこの建物が、最初の看板にあった「朝倉村ふるさと美術古墳館」だと早とちりしてしまいました。実際はこの場所から1.8㎞南東の「緑のふるさと公園」内にありますね。
再訪したいと思います。前出の看板には「現在では約50基が見学可能」ともあるので!