前回の牛神古墳からは今治市内を通過して相の谷古墳群へ。
(今治市街の丹下建築を見るつもりでしたが、多伎宮古墳群でハマってしまい…)
グーグルナビでは丘の南側の住宅街に誘導されましたが細道ばかり。北側から第六管区海上保安本部 来島海峡海上交通センターへ上るのが正解ルートでした。
丘の東から北の来島海峡はグーグルマップに多くの航路が示されていて、今も昔も瀬戸内航路の要であることが実感できます。
門の前に数台停められるスペースがあり、そこに相の谷古墳群の説明板がありました。
相の谷(あいのたに)古墳群
海峡と灘をのぞむ海の王者たち
相の谷古墳群は、来島海峡、燧灘を見わたすことができる丘陵上に営まれています。1号墳は昭和40年(1965)、地元の学生によって発見され、その後、愛媛県教育委員会と今治市教育委員会によって発掘調査が行われました。その結果、古墳時代前期(4世紀)の巨大な前方後円墳(全長約82mは県下最大)で、墳丘は二段に築かれ、まわりに埴輪がならべられていたことがわかりました。
また、後円部に設けられた長大な石室の中から、中国から輸入された銅鏡や国産の銅鏡のほか鉄刀など、豪華な副葬品が出土しました。
1号墳を北側にくだる2号墳は、まだ詳しく調べられていませんが、前方後円墳(全長約53m)であり、1号墳に続く有力者のものと考えられています。
古墳の立地・規模や副葬品の内容から、相の谷古墳群に葬られた人たちは、古墳時代に活発化した瀬戸内海交通の要衝を支配した地域勢力のリーダーであったと考えられています。
しまなみ海道周辺を守り育てる会
その後ろに尾根道。
説明板のマップ。
墳丘上かと見まがう尾根ですが、2号墳は少し先。
その先、尾根が削られた向こう側から2号墳が始まっていました。
「2号墳」と書いてあったであろう標識板。文字は跡形も無く。
墳丘に沿って裾を進むと鞍部が。
そこから墳丘に上がって後円部を。
後円部墳頂の草むら。
振り返った前方部方向。相の谷2号墳は全長53mの前方後円墳です。
前方部先端へ向かってはあまり広がらない、細長い感じでした。
Wikipediaには「古墳時代中期の5世紀前半頃の築造と推定され、被葬者は1号墳に続く有力者と見られている(愛媛県史 原始・古代I(第四章 第二節 四 2) 1982)とあります。
前方部から後円部を。結構な高低差です。
前方部の端には石塔が。奥が後円部。
前方部から先。左に進んだ先に1号墳の前方部がありましたがそれは次回エントリで。
前方部の先端から南側の眺め(樹林がなければ今治市街地が見渡せるのだと思います)