墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新原・奴山古墳群(その2:25号墳・30号墳) 福岡県福津市奴山

前回のつづきの新原・奴山(しんばるぬやま)古墳群。数回のシリーズになります。

国道沿いのエリアから東へ、枝道道路を渡った先に、写真で見たことがある風景が広がっていました。

 

シンプルだけど良くできている、埴輪かかし(?)

 

ウクライナ国旗的な色合いの間に、大きな墳丘。

 

位置はここ。

 

25号墳は群中最大の円墳。

25号墳
築造年代:5世紀後半
墳形:円墳
規模:直径35m(推定)
出土品:須恵器
埋葬施設:横穴式石室(推定)
新原・奴山古墳群で最大の円墳です。発掘調査によって、南西側に幅7mの周溝が確認されました。墳丘は二段に築かれ、高さは6mあります。墳丘を覆っていた葺石が今も斜面にみられます。墳丘上からは須恵器の高坏や甕などが見つかっています。

 

墳頂に上がって西方向。

正面の木立の中に、群中最大の前方後円墳22号墳(の後円部)が残っているようですが、そこへは入れませんでした。右奥にちらりと見えているのは24号墳。

 

南西側の方向。菜の花畑の右に29号墳(?)


そして東方向には、こちらに前方部を向ける30号墳。

 

25号墳を降りて、30号墳の前方部先端側から。

 

30号墳の前方部へ上がって、後円部方向を。

 

振り返った25号墳。

 

くびれ部近くにあった気になる石材。

 

後円部墳頂に上がって西方向を。

 

こちらは北西方向。

 

ズームすると海も写りました。海峡の先は宗像大社中津宮のある大島。右の小山は勝島ですね。

 

東側へは、尾根状の微高地に古墳群が続きます。

 

30号墳を前方部左裾側から。

 

30号墳にも説明標柱がありました。

30号墳
築造年代:6世紀前半~中頃
墳形:前方後円墳
規模:墳長63.5m
出土品:須恵器
埋葬施設:横穴式石室(推定)
後円部の高さは8mあり、墳丘を覆っていた葺石が今も斜面に見られます。発掘調査で周溝が確認されています。墳丘上や周溝から須恵器の甕や壺、高坏、器台などが出土しています。埋葬施設は後円部にあると考えられます。

 

真横から。埴輪かかしと共に。

 

こちらは多分32号墳。

 

31号墳だと思います。

 

30号墳の東にあった眺望スポット。かかしは前のチームのオオタニさん。

 

古墳群全体の説明板。

国指定史跡 津屋崎古墳群 指定日 平成17年3月2日 
津屋崎古墳群 
新原・奴山古墳群は、5世紀から6世紀にわたり、当時の入海に面した台地上に築かれました。前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存します。台地の中心部には、22号墳をはじめとする前方後円墳や大型の円墳が築造され、その周辺に中小の円墳が分布しています。古墳の大き さや形は当時の政治権力を反映し、前方後円墳はヤマト王権とのつながりの強い有力者の墓であることを示しています。そのため、高度な航海技術によって中国大陸・朝鮮半島との交流や沖ノ島での祭祀を担うことにより勢力を伸ばした古代豪族の宗像氏によって築かれたと考えられています。 
長期にわたる様々な規模や形態の古墳が集中して築かれていることが特徴の一つで、古墳時代の宗像氏や宗像地域の社会を理解するための重要な手がかりです。

調査された古墳
新原・奴山古墳群では1~6号墳などで発掘調査が行われました。その中でも5号墳は横穴式石室をもつ直径13mの円墳で、墳丘からは革袋形の須恵器など多くの土器が発見されました。これらの調査により、古墳の構造や副葬品が明らかになっています。

 

分布図を拡大。国道の西側に入り江が迫っていたのですね。

 

拡大範囲の航空写真。赤い線で囲まれた部分が新原・奴山古墳群です。


削平された5号墳の石室写真も。

※知らずに上ってしまいましたが、墳丘へ上がることは禁止されていました。

2024年2月下旬訪問