真名板薬師堂からは北北東に4.5㎞の保呂羽堂(ほろはどう)古墳へ向かいました。
南側からアプローチしていくと、Distillery(羽生蒸留所)がありました。
「開館中」の表示があってかなりそそられましたが、車で来ていることもあり、またの機会としました。
そこから150mほど北の左手に墳丘が。
参道もあり。
その先のT字路から。ビルの後ろが墳丘。
北側の道から。
そこを上がって振り返って。
墳頂のお堂。
お堂の内部。
解説板があります。病気が治ると、”背丈だんご”をお供えする風習が残るとのこと。4月のお祭りの日に参拝したいです。
保呂羽山蔵王大権現由来略記
この堂宇は、社寺明細帳および上羽生村記録によると、貞応元年(1222)4月創建のもので祭神については何れも明らかでないが北条勢との戦いに敗れた、落人の大将、和田義盛ならびにその一統に関る武将等の霊を供養するために建立したもので(母衣:ほろ)を(破)る権現として祀ったものといわれている。その後、星霜を経て、寛正8年(1796)7月氏子有志により御神体を石碑に改め堂宇の改建が行われ、保呂羽山として信奉され悪魔除けの守護神として、特に幼児の成長を守護する神とされ、百日咳風邪などの平癒祈願後全快すると、だんご(背丈だんご)を供える風習が続けられている。
例祭日 4月14日
昭和51年12月吉日 建之
お堂を横から。
墳頂は広く、お堂の左にもスペースがあります。
その地面を良く見ると沢山の穴。蟻?
お堂の裏手には板碑も。
こちらは最初に見えた、お堂を背にしての参道。
脇には古そうな石仏も。
そこを降りて振り返って。
羽生市のサイトによれば保呂羽堂古墳は径28m・高さ3mの円墳ですが帆立貝式古墳の可能性もあり、5世紀後半から6世紀初頭の築造と考えられているとのこと。
昭和35年頃に古墳の東南隅から人物埴輪の頭部が発見されているそうです。
2025年9月中旬訪問