そのファミリーコースを回り、古墳時代の復原住居を過ぎた先に、七ツ塚古墳群がありました。
「古墳群全図」を見て、なかなか沢山墳丘があるなあ、とワクワクした気分でした。
その解説。この時も写真に撮っただけで、60基との記載は読んでいませんでした。マップにある番号の振られた古墳を巡ればよいかとの軽い気分で。
史跡 浄楽寺・七ツ塚古墳群(七ツ塚古墳群)
指定年月日:昭和47年(1972)10月12日
所在地:広島県三次市高杉町・小田幸町
三次盆地周辺は、中国地方有数の古墳密集地域です。なかでも比高30~50mの丘陵上に密集する浄楽寺・七ツ塚古墳群は、最もよくその特徴を示しています。
この地区は、浄楽寺古墳群と一連の丘陵上にある七ツ塚古墳群で総数60基の古墳が見つかっています。丘陵の最も高い所に位置する七ツ塚第15号古墳(直径28.5m、高さ3.3mの円墳)を中心に、前方後円墳1基、帆立貝形古墳2基のほか多数の円墳が密集し、当時の社会の仕組みを研究するうえで貴重な資料となっています。
広島県教育委員会
今回は写真多めです(50枚弱)
同じような写真が続きますが、最後から6枚目あたりはお見逃しなく…(?)
そのそばに立つ標柱。
標柱の背後は20号墳でした。(このあたりでは第〇号古墳と記載されるようですが簡素化します)
右手を見ると19号墳。
続いて18号墳。
17号墳。
ひときわ大きな15号墳。
15号墳は説明板あり。ここが一番標高が高く、最も早く造られたと考えられるそうです。
七ツ塚第15号古墳
七ツ塚第15号古墳は、七ツ塚古墳群の古墳が密集した丘陵の頂部に位置します。みよし風土記の丘にある古墳のなかでもっとも高いところにある直径28.5m、高さ3.3mの大型の円墳です。墳丘は、2段に土が盛られ、斜面には葺石があり、埋葬施設は確認できていません。周溝はほぼ一周していたと推定されています。また、墳丘から埴輪の破片が見つかっています。
この古墳は、七ツ塚古墳群のもっとも高いところに位置し、規模も大きいことから、古墳群のなかで、もっとも早く造られたものと考えられます。
墳丘に上がらせていただき、その先の東方向を。
ちょっと左へ向いて北方向を。
墳丘に囲まれて幸せなのですが…
ひとつひとつに番号札があるので収めないと。14号墳。
読みにくい板には32号墳と。
その左隣に31号墳。
続いて30号墳。
23号墳。
22号墳。
29号墳。
いきなり数が増えて54号墳。
斜面の下側に回って28号墳。
その隣に26号墳。
27号墳。
25号墳はブレました。
さらに下がって34号墳。
35号墳。
振り返ってスマホ広角で。上級者ゲレンデのコブ並みです。
その背後に、なかなか立派な24号墳。
本当はこの背後に40番台の古墳群があったようですが、最初のマップをよく見ておらず一旦標柱のあたりへ引き返してしまいました。
15号墳のそばにある11号墳は帆立貝式古墳。
この説明板で、帆立貝式古墳が日本で一番多いのが広島県と知りました。(全国551基中の63基)
七ツ塚第11号古墳
七ツ塚第11号古墳は、七ツ塚古墳群頂上部から西に約15mのところに位置する帆立貝形古墳です。
帆立貝形古墳とは、形が帆立貝を連想させることからつけられた名称ですが、前方部が極端に短い前方後円墳という意見、四角い造り出しが付属した円墳という意見、そのどちらの場合もあるという意見があり、研究者の間でも一致していません。
昭和63年(1988)までの集計では全国に551基、広島県には全国で最も多い63基があります。
この古墳は、円丘部が2段に築かれていて(2段築成)、1段目と前方部の高さが同じです。規模は全長28.5m、円丘部の直径22m、高さ(南側)2.8m、前方部の長さ8m、幅7.5m、高さ0.8mです。円丘部の東半分には周溝があったと推定されています。埋葬施設は確認されていません。
隣接する七ツ塚第10号古墳も帆立貝形古墳で、これらは、立地や規模から七ツ塚第15古墳に続いて造られたと推定されています。
11号墳の小さな前方部(造り出し部)側から墳頂を。
後円部(円丘部)から前方部(方丘部)を。
園路沿いの10号墳。
前方後円墳も1基だけありますが、規模は小さいです。
七ツ塚第9号古墳
七ツ塚第9号古墳は、丘陵の最も高い所(標高約249m)から北西にやや下ったゆるやかな斜面に築かれた全長29.5m(推定)の前方後円墳で、前方部を西に向けています。前方部は幅16.0m、高ささ2.3m(北側)、後円部は直径21m、高さ4.5m(北側)、くびれ部は幅10.5mあります。
この古墳は、発掘調査が行われていないため、埋葬施設や墳丘の構造などについては不明ですが、墳丘から埴輪の破片が見つかっており、5世紀後半~6世紀前半ごろに造られたものと考えられます。
それでも墳丘のくびれ部は魅力的。
後円部から前方部を。
その近くに8号墳。
斜面の下側に6号墳。
5号墳。
7号墳。だいぶ降りてきました。
番号が飛んで33号墳。
そのあたりで物音がした方向を見ると数頭の鹿がはねていました。
最後の一頭がこちらをうかがっています(中央)
アップで。
猪に続いて鹿に出会いました。
38号墳の奥の林は鹿の通り道かもしれません。
37号墳。
そこから北のほうへぐっと回り込むと、やっと1号墳!
近くの園路沿いに2号墳も。
まだまだつづきます。