墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

禰宜屋敷古墳群、杯状穴(性穴)遺構 愛媛県今治市古谷

多伎宮古墳群を一巡りして一息ついたところで見た多伎神社(たきじんじゃ)の御由緒。平安時代には式内大社であったとのこと。

最後の段落に「広大な境内地の愛媛県指定史跡30数基の群集古墳からは古い歴史と由緒がうかがわれ、多伎川の清流と照葉樹を中心とした自然林は全国でも有数、まさに神様のお座します所であります」との記載。

 

神社からの帰路、鮮やかな赤に惹かれて車を停めました。

 

停めた場所で振り返ると、なんと「禰宜屋敷(ねぎやしき)古墳群」の説明板。

禰宜屋敷古墳群
当1号墳は多伎川の左岸に造られた古墳である。
現在6基が確認されている。
当1号墳は無袖の横穴石室で、副葬品には須恵器・土師器・直刀・轡・鉄鏃や身に付ける装身具が出土している。石室は全長7m・幅2mあり、天井高2mが考えられる。
墳丘は直径13m前後の墳丘高3~4mが想定される。
主軸方向は北30度東を採っている・
遺物は美術古墳館に展示。
朝倉村教育委員会

 

回り込むと、半分が残った露出石室が。

 

車のスケルトンモデルのようにスパッと。

こんな状態で、よく崩れずに頑張っていると思います。

 

その近くには「杯状穴(はいじょうけつ)遺構」も。

 

弥生時代から今にも続く遺構とのことですが、初めて知りました。

杯状穴(性穴)遺構
杯状穴遺構は、古くは弥生時代から近現代まで続けられている文化遺産と言われています。一説によると遺構の目的は、戦場や各地におもむいた男性の帰宅を求めた精神的な祈願行為で生じた”たたき穴”で、前者の祈願穴に結び祈願を続けたといわれています。
朝倉村教育委員会

 

翌日に訪ねた「宇和歴史民俗資料館」でも、盃状穴板石(古墳時代)を見ました。