追戸(おいど)歴史公園から車で数分のところには、2つの展示施設があります。
ひとつは「わくや万葉の里 天平ろまん館」
赤い柱廊が華やかです。
このときは時間に余裕が無かったのですが、この先が黄金山神社の参道入口で、300mほどで神社(史跡ゾーン)になるようでした。
入館料は500円。
砂金掘り体験がセットだと1100円。
黄金山神社のそばには日本で最初に発見された金の聖地・黄金山産金遺跡があります。天平21年(749)に発見されたとの記録があり(続日本記)、陸奥国守であった百済王敬福は産出した黄金900両(約13㎏)を献上したとのこと。東大寺大仏造立の折で鍍金に必要な金の不足を憂いていた聖武天皇は、国家始まって以来と大いに慶んで年号を天平から「天平感宝」へと変えたそうです。
展示はその天平時代の内容が中心。
その一画に「横穴墓と豪族」のコーナー。
涌谷町小塚に「追戸・中野横穴群」がある。8世紀を中心に前後2~3世紀にわたって築造されている。横穴墓は律令制の浸透とともに東北に伝わった新しい葬制である。
涌谷の横穴墓は全部で数百基もあると推定されているが、その中で奥行き9m程度の大きなものが2基ある。その1基からは、トンボ玉、勾玉、切子玉、琥珀玉が出土した。これらは高品質で大変貴重なものである。この墓は有力豪族の家族墓であったと推定される。
8世紀の涌谷は、律令制度の辺境に位置していたが、小田軍団の存在などが示すように、蝦夷と境を接する要衝の地であった。
東北の横穴墓分布状況(赤丸)のマップ
横穴墓は宮城県迫川流域を北限とし、8世紀律令制の支配範囲とも一致する。9世紀以降、この葬制は衰えていくので、律令制の北進に横穴墓は伴わなくなる。
追戸横穴墓群のジオラマ
貴重な出土品も展示されていました。
左が追戸A地区1号墳から、右は洞ヶ崎横穴から。
追戸1号墳からのトンボ玉。
このあと、涌谷町立資料館も訪ねました。
江合川左岸の丘上の公園、かつての涌谷伊達家の居舘跡にあり、天保4年(1833)再建の太鼓堂(隅櫓)の中が資料館となっています。
縄文期の長根貝塚からの出土品。
長根窯跡、そして追戸・中野横穴墓群の展示。
わかりやすい解説でした。
追戸・中野横穴墓群
昭和37年7月~昭和41年8月にかけて、氏家和典・佐々木茂楨氏を中心とする学術調査が涌谷町小塚地区で行われました。
遺跡の名称は「追戸・中野横穴墓群」、それまで付近の人々は「エゾ穴」と呼んでいた斜面に掘られた古代のお墓です。
調査の結果、遺跡は付近の山などにも及び全数で100以上もあることが分かりました。特にA地区と呼ばれる横穴墓群では奥行きが10mを超え赤く塗られた装飾横穴墓の存在や横穴の構造が他の地域の横穴墓と比べ特殊なもの、B地区では須恵器が多量に埋納されていたことが確認されました。
出土する土器の年代から、およそ8世紀を中心とする横穴墓の造営・使用が考えられ、ちょうど「天平産金」の時代と一致することから、産金に関わった人々のお墓ではないかと推測されています。
また、その後の研究により、追戸横穴墓群で発見された須恵器は長根地区の長根窯跡で焼いた器が運ばれたことが分かり、お墓の埋葬者と窯跡で須恵器を焼いた人との関連性が大きく注目されています。
現在、町史跡として公園整備がなされ、自由に見学することができます。
現地では見れなかった玄室。
出土した須恵器など。
天平産金に関しても。
最上階は展望台。
素晴らしい眺めでした。
西方向、奥まで続く大崎平野。
目の前を流れる江合川。
南東方向。
江合川はこの先8㎞ほどで旧北上川を合流して、20㎞先の石巻で海で出ます。