墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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発掘された日本列島2021(その2) @江戸東京博物館・両国

新発見コーナーでは古墳時代に関して、3つのエリアが取り上げられていた。

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最初に紹介されていたのは鹿児島県の志布志湾岸沿いの古墳群。 

昨年訪ねたばかりなので、現地での記憶がよみがえりました。

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志布志湾沿岸地域の古墳群
史跡塚崎古墳群 史跡唐仁古墳群 史跡横瀬古墳 立小野堀遺跡 町田堀遺跡
古墳時代前期~中期(4世紀~5世紀)
鹿児島県東部、大隅半島の志布志湾岸にある4世紀から5世紀にかけてつくられた日本最南端の古墳群です。史跡唐仁古墳群(昭和9年指定)、史跡横瀬古墳(昭和18年指定)、史跡塚崎古墳群(昭和20年指定)などから成ります。 

 

4世紀代に築造された塚崎古墳群。

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史跡塚崎古墳群は、日本列島最南端の前方後円墳(51号墳・墳頂71m)を含む59基からなる古墳群です。5基の前方後円墳はいずれも4世紀代に築造されたと考えられ、この時期にはすでにヤマト王権の影響力がこの地に及んでいたことがわかります。

 

 塚崎25号墳、31号墳、41号墳から出土した土師器や須恵器。

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当展で塚崎51号墳と紹介されている日本最南端の前方後円墳は、肝属町のサイトでは39号墳となっていました。


1号墳の大楠には並々ならぬオーラを感じました。

塚崎古墳群・塚崎の大楠(1号墳) 鹿児島県肝属郡肝付町 - 墳丘からの眺め

 

唐仁古墳群は鹿児島県最大の古墳群。

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史跡唐仁古墳群は、5世紀初めに築造さえた墳長140mの唐仁大塚古墳をはじめとする130基以上の古墳からなる鹿児島県最大の古墳群です。塚崎古墳群の後につくられた首長墓と考えられ、大塚古墳、役所塚古墳、薬師堂塚古墳といった3代の首長墓系譜をたどることができます。

 

唐仁19号墳出土の土師器が出展されています。

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現地では全長140mの大きさや、残る墳丘の数の多さは見ごたえ十分でした。

唐仁古墳群 16号墳(薬師堂塚)・100号墳(役所塚) 鹿児島県肝属郡東串良町 - 墳丘からの眺め

唐仁古墳群 17号墳・120号墳・61号墳・33号墳 鹿児島県肝属郡東串良町 - 墳丘からの眺め

 

横瀬古墳からは円筒埴輪が。 

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史跡横瀬古墳は、5世紀中ごろの前方後円墳で、墳頂は約137mあります。鹿児島県内では唐仁大塚古墳に次ぐ規模です。墳丘の拾遺には二重にめぐる濠が確認されました。南西諸島と近畿との交流を掌握した首長の墓と考えられています。

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形の美しい前方後円墳でした。

 

横瀬古墳では、クロップマーク(作物痕:埋没した遺構の上に現れる、地質の違いによって生育が異なる作物が地表に作り出す模様)の解説も。

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グーグルアースでも、わかるところがあります。

 

立小野堀遺跡・町田堀遺跡は地下式横穴墓群。本展示で初めて知る遺跡でした。

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立小野堀遺跡と町田堀遺跡は、大隅半島の中央、串良川右岸にある5世紀を中心とする遺跡です。近年の発掘調査で、立小野堀遺跡で190基、町田堀遺跡で92基の地下式横穴墓がみつかりました。狭い範囲にこれほど多くの地下式横穴墓がみつかることは珍しく特徴的です。

 

町田堀遺跡出土の「異形鉄器」が展示されていました。

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平成25年、26年に現地説明会が開かれていますね。

町田堀遺跡(H25.10.12) – 鹿児島県上野原縄文の森

立小野堀遺跡・永吉天神段遺跡(H26.9.13) – 鹿児島県上野原縄文の森

 

つづく。