南九州古墳旅の最終日は鹿児島県の志布志湾岸の古墳を巡った。
当初は宮崎駅から日南線の始発(5:26発、志布志駅に8:36着)を利用して志布志駅でレンタカーを借りようと思っていたが、志布志駅周辺にはレンタカー店舗が無く、宮崎でのレンタル日数を3日とした。
都城までは高速があるがその先は一般道で、計1時間半。 日南線の3時間の半分だが、なかなかの距離を実感。
宮崎の宿を出たときはまだ暗かったが、高速を降りた都城市あたりで日が昇る。
国道から枝道に入って何枚か。この時点で6時40分。
志布志湾岸は北東から南西に志布志市、曽於郡、肝属郡となり、いくつかの古墳群が点在するが、最初の訪問地は一番南西側の肝属郡にある塚崎古墳群とした。
難読地名と思われる肝属(きもつき)郡・肝付(きもつき)町は、下記のサイトによれば、郡名の由来は不明だが、町名の「肝付」については鎌倉時代から南北朝時代にかけて大隅半島全域を統治し、都城や日南まで勢力を及ぼしていた肝付家の名にちなむとのこと。
https://www.maff.go.jp/kyusyu/seibibu/kokuei/13/tiikigaiyou.html
古墳がある集落に8時頃に到着。車を停めて、グーグルマップに「塚崎古墳群」のピンが立つポイントへ向かったが、何も見つけられなかった。
ちゃんと探せば畑の中の墳丘に気づいたはずだが、あきらめが早すぎた。
https://kankou-kimotsuki.net/archives/887
県道沿いの看板をストリートビューで。
とぼとぼと集落に戻ると「古墳順路」の看板を見つけた。
その先の看板の矢印が、左なのか奥なのかが不明だったが、左に道は無かったのでお墓の方へ進む。
お墓の後ろが道の跡的な雰囲気(中央から右のほうへ)
腰でかけわけるように進む。
竹藪の中に墳丘があった!
「史跡塚崎古墳群第7号」の標柱。
こちらは第6号。
第5号。
その先は歩きやすくなって大き目の円墳が。
それが第4号。
さらに円墳が。
それが第3号。
その先に第2号。
道が良くなったと思ったら目の前が開けて第1号。
墳頂に巨木。
事前にあまり調べずに訪ねたので、非常に驚きました(見てしまった方すみません)
背筋がぞくっとしました。
周囲に見学路が設けられ、墳丘(巨木の根周り)がしっかり保護されています。
ゆっくり回り込む。
見上げるとそっくり返りそうに。
祠や鳥居も。
様々な方向から巨木の姿を味わえます。
墳頂への階段も有り。裾の碑は、1号墳と天然記念物を記す。
その背後にあったクスの説明板。 古墳とともに1300年!
塚崎の大クス
このクスは塚崎古墳群第1号墳の円墳上に生育して往古より神木とされている。樹齢1300年を経過したものを推定され目通り幹廻り約14m、樹高約25mの巨木である。
樹勢が盛んで樹上にはオオタニワタリをはじめ多くの植物が着生している。
クスの木の巨木としては有数なもので昭和15年2月10日、国の文化財天然記念物に指定される。
肝付町教育委員会
吸い込まれそうな洞を見ながら墳頂へ。
”映え”そうなハート形。
墳頂は根元。
木肌に触れさせていただきました。
こちらの扇のような葉が、説明板にあったオオタニワタリ(シダ植物門チャセンシダ科)のようです。
朝日に輝く姿に見とれました。
古墳の発掘調査はされていないようでした。
というより、天然記念物があるので無理でしょう。 巨木は被葬者の魂を宿しているようにも感じられました。
幹も太いが背も高い。
整備された見学路を進んで、振り返って。
見学路が道路に出るところには案内板も。
その背後に広い駐車場。
この後、日本最南端に位置する前方後円墳・塚崎古墳群39号墳へ向かいました。