墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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塚崎古墳群39号墳 鹿児島県肝属郡肝付町

前回のつづきの塚崎古墳群。

 

下記の肝付町のサイトによれば、塚崎古墳群は4世紀後半~5世紀前半に築かれた古墳群で、前方後円墳5基・円墳39基、さらに地下式横穴墓18基の存在も確認されている。

平成16年度からの確認調査では須恵器や埴輪が出土し、畿内の古墳に見られる変化が時を置かずして反映されていると考えられるとのこと。

この地域からは弥生時代の住居跡も発見されており、弥生時代から発展し、古墳時代になってから急速に組織化された集団があったと思われるそうです。

https://kimotsuki-town.jp/soshiki/rekishiminzoku/1/2/1650.html

 

上記に「一見の価値あり」と記されている11号墳は気づかずにスルーしてしまいました。

 

「九州の古墳」によれば11号墳・瓢箪塚古墳は墳長56m、前方部が撥形で低い”古式”であり、それが”纏向型前方後円墳”であるとすれば、初期ヤマト政権の関与が北部九州に前方後円墳が出現した同時期に九州南端にまで及んでいたことになる、と考えられるそうです。

九州の古墳

九州の古墳

  • 作者:吉村 靖徳
  • 発売日: 2015/12/07
  • メディア: 単行本
 

 

日本最南端の前方後円墳・39号墳の方は、グーグルマップにピンが立っていたので訪ねることができました(ただしマップには51号墳と…)

 

古墳は道路沿いの見学しやすい場所に。 

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「日本最南端の前方後円墳」の標柱。

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最北端の前方後円墳(角塚古墳:岩手県奥州市)は2018年に探訪。

直線距離で1,263㎞。船と徒歩しか交通・通信手段が無い時代によくそこまで拡がったものです。

 

標柱の脇から登らせていただきました。

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振り返った道路側。

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道は後円部へ。

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後円部墳頂にあった39号の標柱。後円部は南を向いている。

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道路と反対側の様子。

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後円部から前方部方向を。 

前出の肝付町のサイトによれば境長約80m、高さ約10m。葺石あり。

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鞍部から後円部を見上げて。

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前方部の様子。

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前方部から後円部を。奥に標柱が見えています。

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道路へ戻って、後円部先端裾側から墳丘を確認しようと思ったが視認できず。

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上記の位置から振り返った南側。

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グーグルアースを見ると、樹々を透かして墳丘側面が確認できます。

 

下記のリンクから、肝付町教育委員会・鹿児島大学総合研究博物館による特別展資料「古墳に眠る肝属の王~塚崎古墳群の時代~」という4頁の資料がダウンロードできます。古墳分布図も記載されているので、行かれる際は非常に参考になると思います。 

https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/21422

自分は後から知ったので、次の機会があれば…

 

近くにある肝付町歴史民俗資料館には、軽石製の組み合わせ式石棺もあるそうです。

https://kimotsuki-town.jp/chosei/bunka/shisetsu/3019.html 

 

この日は宮崎空港に車を返し、夕方の便で帰る予定でしたので先を急ぎました。

肝属川を渡って、左岸(北側)にある唐仁古墳群を目指します。

 

県道の橋を渡ったところで。肝属川は東へ流れています。河口まで3km半。

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地元の方以外は「きもつきがわ」とは読めないでしょう。 

 

そこから右、南方向。右奥2km先が塚崎古墳群のエリア。

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西側の上流方向。10kmほど先に鹿屋の中心街があります。奥の山塊は高隈山で標高1100~1200m。その背後に桜島が隠れています。

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