墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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橿原神宮 奈良県橿原市久米町

前回のつづき。

甘樫の丘からバスに乗り橿原神宮前駅へ。橿原市主催「古墳めぐりと博物館見学ツアー」の集合時間までに50分ほどあったので橿原神宮(かしはらじんぐう)を参拝した。

 

3月にすぐ近くまで来たが、その際は境内に向かう時間がなかった。

 

この日はウォークイベントがあったようで大勢の方が橿原神宮へ向かって歩いていたが、その列は駐車場の会場へと向かっていて鳥居の先の表参道は静かな朝だった。

 

木製の鳥居には雀が居て文字通り「鳥居」

 

大きな手水舎があった。

 

そこで90度右に折れると南神門(みなみしんもん)

 

外拝殿の前は広々としていた。後ろに聳えるのは畝傍山。

 

南神門を振り返って。奥には深田池がある。

 

外拝殿を正面から。

 

一般は外拝殿より参拝する。回廊に囲まれた広場の先に内拝殿がある。

 

内拝殿の屋根の上には、その後ろの建物、幣殿の千木が見える。

 

外拝殿から続く回廊。

 

9時になると回廊部分にも少し入れるようになった。

内拝殿の後ろ、妻側を手前に向けて千木と鰹木を屋根に載せているのが幣殿。さらにその後ろ、内拝殿と同じ向きで屋根の直線を一部見せているのだ本殿になる。

 

内拝殿の賽銭箱の隣にあった説明書。

御祭神は神武天皇とその皇后・媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)

50万㎡(50ha)の神域はTDLとほぼ同じ広さ。

橿原市のサイトによれば、神武天皇が橿原宮で即位したという「日本書紀」の記述に基づいて明治23年(1890)に建てらた。本殿は京都御所の賢所が移築されている。

1kmほど北、同じ畝傍山の裾に神武天皇陵があるが、Wikipediaによれば、そこを神武陵と治定したのは文久3年(1863)になってからで、治定された後に整備されている。

 

帰り際に、やたちゃんに会った。

 

八咫烏(やたがらす:神武東征の際に熊野国から大和国への道案内をした)をモチーフとしているので、足が3本あった。

つづく。