前回の蓮ヶ池横穴群を見た後は、宮崎神宮の境内林にピンが立つ船塚古墳へ向かった。
日豊本線で宮崎駅の一つ北の宮崎神宮駅から近い。
境内北に宮崎県総合博物館が隣接するが、やはりこちらも休館中だった。
初めに宮崎県護国神社に参拝。
立派な拝殿で、初めはこちらが宮崎神宮と勘違いしていた。
昭和18年に別の場所に建設が始まったが終戦でとん挫、昭和30年にこの地に再建されている。
http://miyazaki-gokoku.jp/?page_id=187
参道脇の案内図を見ると、護国神社と宮崎神宮との間に小径がある。古墳は記されていなかったが、ルートがあるかも知れないと思い行ってみることにした。
中心市街とは思えない境内林の中を歩く。東京における明治神宮のような。
300mほど北へ進むと、船塚古墳の説明板があった。全長76mは大きい。
種別 県指定史跡
名称 船塚古墳
指定年月日 昭和52年4月1日
この古墳は、宮崎神宮本殿の北側に位置し周濠をもつ前方後円墳である。
前方部を東方に、主軸は東北東から西南西に方位し、全長76.8m、後円部径約36m、周濠幅13mを計る。南側周濠及び封土の一部を除くほかは、その形態をよくとどめている。
周辺部には、洪積台地上に築造された、下北方古墳群、生目古墳群があるが、低地に築造された前方後円墳は、本墳と檍(あおき)古墳で前方部の裾が形態にあることから、古墳時代中期ないし後期初頭の築造と思われる。
昭和61年3月25日
宮崎市教育委員会
しかし、立ち入り禁止だった。
古墳への路。
最大ズームでも、墳丘は判然としなかった。
検索すると、下記の「みやざき文化財情報」に墳丘裾の写真が掲載されていた。
船塚古墳は低地上に単独で存在するが、下北方古墳群に含まれ、群中最後の首長墓とされているそうだ。神武天皇の船を埋めた塚、神武東征時に船をもやいだ場所といった伝承が残るとのこと。
全長76.8m、後円部径38m・高さ7.34m、前方部幅47m・高さ7.76mで前方部が大きく広がる形状。幅約13mの周溝は盾形で、周堤帯も一部残る。
神宮社殿が墳丘南側のくびれ部に、くいこむように建てられているとのこと。
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/2524
小径を引き返して、宮崎神宮に参拝。御祭神は神武天皇・神日本磐余彦天皇。
神門から拝殿へ向かう。
拝殿の様子。
神社の公式サイトには、神武東遷の物語が記されている。
https://miyazakijingu.or.jp/publics/index/3/
邪馬台国の邪馬台は「ヤマト」と読めるので、神武東遷=ヤマト(邪馬台)東遷と考えるのが自然と思われるのですが…
拝殿に向かって左側。
右側。
本殿の背後に全長76mの前方後円墳が横たわっていることを想像しつつ、参拝をした。
時間があれば下北方古墳群(宮崎神宮の1.5㎞北西)も訪ねたいと思っていたが、かなり日が傾いてきたので、次の機会とした。
宮崎駅西口のホテルに向かい、車を置いて荷物を下ろした後、夕食をとりに街へ。駅前の宮崎科学技術館を横目に見ながら東口へ。
中心街は南国ムード。大通りに面した居酒屋で焼き鳥いただきました。
いい気分になってホテルに戻る途中、宮崎駅東口を。
宮崎交通バスの回送表示も、八戸や岡山と同様に「すみません回送中です」となっていた。
3月上旬の南九州古墳旅の2日目終了です。あと1日続きます。