墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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蓮ケ池横穴群 宮崎県宮崎市大字芳士

生目古墳群見学後は、6㎞北東にある国指定史跡・蓮ヶ池横穴群へ向かった。

大淀川北側で北西から伸びる幅広の台地の先端に位置し、東側の麓に沿って日豊本線が通る。

横穴墓は樹状谷に入り込むように、いくつかのグループに分かれて築かれているが、史跡公園になっていて、校倉造り風の立派な展示施設もあった。

下記の公式サイトによれば、蓮ヶ池横穴群は横穴墓の群集地として日本の南限にあたることから昭和46年7月17日に国の史跡に指定を受け、史跡公園内では81基の横穴墓が確認されているとのこと。

駐車場脇にあった案内板。よく見ると前方後円墳の姿もある。

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残念ながら、この時(3/8)この施設「みやざき歴史文化館」もコロナの影響で休館中だった(3/5~)

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http://miyazakirekishi.miyabunkyo.com/facility/ 

 

今改めて上記のサイトを見ると、なんと3月31日で閉館(施設廃止)となっていた。

http://miyazakirekishi.miyabunkyo.com/news/%e3%80%90%e9%87%8d%e8%a6%81%e3%80%91%e3%81%bf%e3%82%84%e3%81%96%e3%81%8d%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e6%96%87%e5%8c%96%e9%a4%a8%e9%96%89%e9%a4%a8%ef%bc%88%e5%bb%83%e6%ad%a2%ef%bc%89%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5/

無念。

 

施設の後ろ側にあった案内板には解説もあった。

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種別:史跡
名称:蓮ヶ池横穴群
指定年月日:昭和46年7月17日
蓮ヶ池横穴群の80数基の横穴は、西・中央・東丘陵の南方向に開口できる斜面に造られています。西丘陵の横穴群を第1集団、中央丘陵の横穴群を第2集団、東丘陵の横穴群を第3集団と呼んでいます。各集団は、それぞれ4基から6基のグループに細分され、1グループの横穴が1家族墓と思われます。
単独の横穴もあり、その規模、構造、副葬品等に特徴がみられ、首長の墓とも考えられます。
これらの横穴は6世紀中頃から造られ始め、8世紀には衰退しました。 

 

まずは前方後円墳を目指して見学路を進んだ。

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途中にあった横穴墓には蓋が。 

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途中枝道にあった53号墳には閉塞石を模した蓋。

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詳しい解説も。

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蓮ヶ池53号横穴
蓮ヶ池53号横穴は、全長9.1mの横穴で、玄室の床面積が16㎡と蓮ヶ池古墳群中最大の広さを誇ります。
玄室の左右の壁には線刻壁画が施されており、右の壁には近親者に見送られながら、亡き死者の霊魂が船に乗り他界へとおもむく様子が描かれ、左の壁には邪を排除する鬼面文などが描かれています。
これらの壁画は古代の人々の死生観を考える上で非常に重要な資料と言えます。

53号横穴の上部に造られた蓮ヶ池2号墳は直径17mの円墳です。墳丘の下部は元々の地面を削り出し、上部は削り出した土を盛り上げることによって形造っていることが発掘調査によって明らかになりました。葺石や埴輪は見つからなかったため、造られた当初から使用されていなかったと考えられます。
宮崎市教育委員会文化財課

 

その上に直径17mの円墳(2号墳)が築かれている。 

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さらに上がった場所にある12号横穴は開口していたが、厳重に保護されていた。

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そこに貼られていた解説。 

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蓮ヶ池(はすがいけ)12号横穴
全長約12mと蓮ヶ池横穴群最大の長さを誇る横穴で、玄門が長い特徴的な形をしています
横穴の入口付近で見られる多数の石は、遺体を埋葬した後に入口を閉じるために使用されたと考えられています。
横穴の壁面には、掘削に使用した鉄の刃先を付けた鍬と思われる工具の痕が明瞭にみられます。鉄鏃や土器が出土しており、それらの土器から6世紀後半に造られたと考えられ、蓮ヶ池横穴群で最も古い横穴の一つです。

 

続いて、前方後円墳(蓮ヶ池1号墳)の説明も。1号墳は12号横穴の墳丘と考えられているそうだ。

蓮ヶ池1号墳は丘陵尾根先端付近に造られた、長さ37mの前方後円墳です。蓮ヶ池12号横穴の玄室が後円部中心に向かって掘られていることから、蓮ヶ池1号墳は12号横穴の墳丘と考えられています。墳丘の発掘調査が行われていないため詳細は不明ですが、現況観察から、埴輪や葺石は使用されていなかったと考えられています。

 

金網の隙間から12号墓をフラッシュで。 

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12号墓の横から1号墳へ上がった。鞍部から前方部を。 

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前方部の先端側。 

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振り返っての後円部。全長は37m。 

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下記の「みやざき文化財情報」にも詳しい解説があった。

蓮ヶ池横穴群は大淀川の支流新別府川の北側に位置する丘陵上に分布する。
これまでに82基の横穴墓が確認されており、稲荷池の東側丘陵や御諏訪池の西側丘陵及び東側丘陵の3グループに分布が分かれる。これらの横穴墓は発掘調査の結果、6世紀の後半から7世紀の前半にかけて造られたことが明らかになってきている。
そのうち12号墓は墳長約37mの前方後円墳、53号墓は円墳の下に構築されている。この時期は、古墳時代の中でも前方後円墳が築造されなくなる時期であり、12号墓の上にある前方後円墳は、最後の時期の前方後円墳であるといえる。
また53号墓の玄室壁面には、人物や船、鬼の顔等の線刻が施されており、当時の人々の生死に関する考え方をよく物語っている。
平成4年(1992)には蓮ヶ池横穴群は宮崎市教育委員会で整備が完了し、敷地内には「みやざき歴史文化館」が造られ、蓮ヶ池だけでなく宮崎市周辺の歴史や文化について知る事ができる。 

http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/1848

 

これまでのところ、入れる横穴が無かったので、一本東側の谷戸へ向かう。途中で田池の対岸斜面に、開花した桜があった。

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こちらの谷戸では開口した5基が開口していた。 

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上記の写真の一番右の1基。 

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右から2番目。 

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右から3番目。 

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右から4番目。 

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一番左。 

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一番左の1基は床がきれいに見えていた。 

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中へ入らせていただいて、奥壁の前から振り返って。 

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フラッシュで。 

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奥壁の上側を。 

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奥壁に向かって左側。 

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右側を。

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何かが刻まれているようであり、彩色されているようにも見えたが、後世のものなのかどうかわからなかった。 

 

入口近くから外を。谷は今は溜池となっている。

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穴の外から左側。 

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その先にも横穴墓があったが、やはり閉塞されていた。 

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