墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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印旛沼に栄えた文化「公津原再発見」展 @千葉県立房総のむら 風土記の丘資料館

前回のつづき。

講演会を聴講した後、資料館で開催中の企画展を見ました。 

・平成28年度出土遺物公開事業 成田ニュータウンの遺跡展「印旛沼に栄えた文化 公津原再発見」

房総のむらの入場料(一般300円)で資料館に入館できます。

 

公津原(こうづはら)は成田ニュータウンが広がるエリアで住宅地の間や公園、神社境内に古墳が数多く残っています。

講演会のテーマとなった船塚古墳もこの古墳群に含まれます。

印旛沼、つまり古代の”香取の海”に接する台地の上には古墳時代から奈良・平安時代を中心に人々の営みの跡が残っています。

 

現状はまさに”ニュータウン”。赤い印が船塚古墳。

 

成田ニュータウンの発掘資料。図面や測量器具も展示されていました。

解説パネルによれば、成田ニュータウンは昭和40年代に成田空港関連の就業者や空港建設に従事する人々の居住域として、当時は山林と畑地だった「公津原」に計画・開発されています。

大規模開発に伴う発掘調査黎明期において「調査後消滅」ではなく「保護」を考慮した先人の叡智と労苦が偲ばれます。

 

展示は旧石器から奈良・平安にまたがりますが、古墳時代の展示ボリュームが多かったです。

 

公津原古墳群は、さらに南から瓢塚古墳群、天王・船塚古墳群、八代台古墳群の3群に分かれます。

 

瓢塚16号墳、17号墳から出土した小さな鏡。

 

瓢塚32号墳からは副葬品として石枕が出土。

 

石枕には立花(りっか)を差し込む孔が彫り込まれていますが、立花は出土せず。

 

墳丘東側からは人物埴輪(頭部)も出土。破砕された円筒埴輪が密集する中央部に置かれていたとのこと。髷があるので女性ですね。

 

隣に腕が、事件現場のように並べられていました。

 

こちらは鶏か。

 

こちらは円筒埴輪や須恵器。

 

瓢塚40号墳と天王・船塚8号墳から出土した金銅製の小さな鈴。

 

天王・船塚古墳群の解説パネル。全47基もあったとは。

 

天王・船塚4号墳出土の鐙や大刀など。

 

石塚古墳(天王・船塚16号墳)や船塚古墳の埴輪片。

 

天王塚古墳(天王・船塚31号墳)の埴輪片。

 

出土した埴輪や古墳の形から、石塚古墳(6世紀前半)→船塚古墳(6世紀中頃)→天王塚古墳(6世紀後半)の順の築造と考えられるそうです。

 

近くの八代台玉作遺跡から出土した製作途中の管玉。

 

船塚古墳のすぐ近くからは千葉県内で2例しかない埴輪窯跡が見つかっています。 

 

円筒埴輪だけでなく、人物埴輪片も出土していました。

本展は第1期が2016年9月25日まで。12月10日から2017年2月26日まで第2期の展示があります。 

 

公津原古墳群は2年前にしつこく回った思い入れのある古墳群です。

(古墳の番号については自分はこのとき、公津原古墳群としての付番と、各古墳群での付番があることを知らなかったので、展示の説明にある古墳番号とは整合しない可能性があります)

八代台古墳群 成田ニュータウン(公津原)の古墳① 

八代台古墳群 八代玉作遺跡 成田ニュータウン(公津原)の古墳② 

八代台古墳群 天王塚古墳 成田ニュータウン(公津原)の古墳③ 

六角堂 天王・船塚古墳群10号墳 成田ニュータウン(公津原)の古墳④ 

麻賀多神社(手黒社) 公津原39号墳 成田ニュータウンの古墳⑤ 

船塚古墳(公津原8号墳) 成田ニュータウンの古墳⑥ 

公津原古墳群 再訪① 

公津原古墳群 再訪② 

天王・船塚古墳群 公津原再訪③ 

 

企画展の後、常設展も久々に見学。沢山の埴輪が出迎えてくれます。

 

千葉や茨城に多く見られる石枕。左は伝公津原出土、中央は姉崎二子塚古墳出土のレプリカ。

 

千葉県最大の古墳、富津市の内裏塚古墳出土の円筒埴輪。表面の絵は笹の葉?

 

円筒埴輪になる前の壺形埴輪。

 

柏市の北ノ作1号墳出土の壺が「古墳時代で最も古い土器」として展示されていました。

北ノ作1・2号墳 (千葉県柏市沼南地区①)